琴音の煉瓦刻印発見録♪『新潟県直江津・旧いかや旅館の刻印☆』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]
『日本煉瓦製造㈱の上敷免製の煉瓦がどこまで流通してたのか調べるのがライフワークなんですよ^^』
かつて、とってもとっても場違いながらも私ってば、
神奈川での『ある煉瓦の懇親会』に参加してたの。
それは博物館の館長さんやら学芸員さんなどがワンサカ居た酒宴だった。
そこで同じテーブルに座ってたオジ様が熱く語ってたのがこの前述のセリフ。
そのオジ様と言うのは、実は日本煉瓦製造㈱に勤めていらっしゃった方でした。
創始者である渋沢栄一のことを常に『先生』と語って私に色々とお話をしてくださったのです。
ただの一介の煉瓦好き少女である私は臆し、
結局、彼との連絡先などのそういう付き合いも無くその場を終わりにしてしまったのです(大変悔やまれるっす)
そのオジ様が言っていた、日本の過去の煉瓦工場としては最大手にして最古参煉瓦メーカーである日本煉瓦製造㈱の明治初期の刻印『上敷免製』
私も日本の色んな場所へと行くる道中、遠ばずながらもそれを調べていたんすよ。てへ☆
ーーーさて今回は北陸シリーズです^^
それは偶然の産物。自分の予期せぬ場所にそれはありましたっす☆
今回もご多分に漏れず、今ハマってる位置ゲー『レキシトコネクト』&『駅メモ』の各キャラの育成へと飛びだった私w
かと言って、ただ電車に乗ってゲームだけの為に時間を費やすなんてそれこそ無駄なお話。
当然『目標』を決めます。
今回は『北陸の煉瓦』を目指すことにいたしあした(*´д`*)
一応メインは『富山県の、ある煉瓦構造物』がメイン。
本当ならバビューンってな感じで、さっさと北陸新幹線で富山駅へとワープすればいいだけなんすが、、、
越後湯沢駅でほくほく線に乗り換えて新エリア&路線獲得と言うのんびり旅行っすw
さてと新潟県の直江津駅まで到着。
ここからローカル線に乗り換えて富山駅方面へ向かいやしょう。
が!
ここで『問題発生!』
お腹痛くなっちゃってトイレにこもってたら乗るはずの電車を乗り過ごしたでやんすw
あうう・・・
次の電車まで約1時間後・・・
ローカルって怖い^^;
さてさて何回か来たことある直江津駅なんですが、下車して街並みを覗いてみたのは一回こっきり。
(※10年前に金沢競馬場を目指していた時にブラっと歩いてみただけ)
せっかくなんで暇つぶしに街巡りでもして時を過ごしましょうず☆
でもどうせなら『やっぱり煉瓦』がいいよね!
そう思った私はスマフォでさくさく検索したのでありんす。
するとビックリ!
どうやら駅前にめっちゃ古い煉瓦構造物があるらしい・・・
(駅前に煉瓦構造物があるだなんて知らなんだ^^;)
それは駅前にある『ホテルセンチュリー・イカヤ』の裏手にあるらしいっす。
グルっと回ってみれば、こっちがメインホテルなのかな?
立派なホテルがドーンとあったとです。
そこの脇の路地を進むとおーーー
あらら、
ほんとにいかにもめっちゃ古そうな煉瓦塀があるじゃないのさあ(*´д`*)
造りとしてはイギリス積み。
ところどころ焼き過ぎ煉瓦も散在。
ん?なんだろ?
煉瓦で閉塞したアーチ部位もあるっすね。
通用門か何かを煉瓦で後から埋めちゃったのかなあ???
その上部は蛇腹の装飾煉瓦ちゃん^^
わざわざ煉瓦塀に飾りを入れるんだからお金持ちさんだったとかかな?w
その塀の向こう側には入れないみたい。
でも戸の隙間から見たそれは表側と変わらずの古い煉瓦塀でした。
さて、せっかくなんでいつもの刻印探しをしようっす(*´д`*)
ん~・・・辛うじて突出してる軒下煉瓦面にはそれらしいものは無いかなあ・・・
とは言え、この煉瓦塀、
まだまだ角を曲がっても続いてるよ!?
せっかくなので行けるところまでその煉瓦塀を見に行くことにしたお(*´д`*)
するとかなり奥まったとこまで煉瓦塀が残っていました。
恐らくここまでであろうと言う場所は、
更に二倍くらいの高さの煉瓦塀の名残。
---積み増したのかな?
よくよく見ると
下段はイギリス積みだけれども、
上段はフランドル積み!
んん・・・よく分からなくなってきた^^;
だって積み増したなら積み方の古いフランドル積みが上方にあるってとってもおかしい・・・
じゃあ~後から趣味でフランドル積みで積み増したのかな?って思うんだけどー
私の見立てじゃ上の部位の煉瓦の方が質感的に古そうなんだよなあー・・・(困惑)
とは言え、こんな駅前に煉瓦物件があっただなんてと私ってば超絶興奮!
しかも乗り過ごすと言うかー
お腹が痛くならなかったら出会えてなかった偶然。
うんこに感謝っすねw
さて、煉瓦刻印を求めて煉瓦塀の果てまで来たものの、
軒下煉瓦ちゃんにはそれらしいものは無かった。
首が痛くなるくらいガン見で見上げて探してたのにいいー^^;
でもね?
上ばかり見上げていてはいけなかったようです。
よくよく見れば、この煉瓦塀周りの東側には小さな用水が流れていたのですが、
その脇に並んでいたのもまた煉瓦ちゃんだったの(*´д`*)
この煉瓦が目の前の煉瓦塀の煉瓦と別物と捉えるのは無理でしょ。
恐らくこの煉瓦塀の余り煉瓦か、
もしくはそれに近い年代の煉瓦ちゃんのはず。
だって見た目にも古そうだったしね(これは経験則でしょうか)
一個一個、その煉瓦たちを注視していくとーーー
きた!
これは『日本煉瓦製造㈱の明治期の刻印・上敷免製の刻印』(*´д`*)
他にも何個か同じものが☆
オジ様が酒宴で言っていた。
『私の調べた感じだと新潟方面が上敷免煉瓦の北限かも』と。
もしかしたらばオジ様はここも見たのかな?
(※まあ恐らく私の見立てじゃ燕市の香林堂を調べたのでは?と思うっすけれど。あそこもまた上敷免製煉瓦)
さてじゃー、この煉瓦塀は一体何なのか?を調べましょうず^^
それはズバリ『イカヤホテルの前身である旧いかや旅館の煉瓦塀の名残』なんだそう。
明治5年創業。
許可を得てないので創業時の写真は掲載できないけれど、その佇まいは当時としてはハイカラ奇抜!
しかも駅前でとっても目立つ旅館さんでした(ネットで調べればいくつか画像が見れると思います^^)
・・・ん?
明治5年創業?
私がなぜ疑問に思っているかと言うとーーー
渋沢栄一が政府からの要請を受けて民間として日本煉瓦製造㈱を創業したのは、
確か明治21年だったような気がしたからっす。
と言うことは創業時にはこの煉瓦塀は『無かった』
もしくはあったとしても『地元の煉瓦を扱った』のでは???
後から『何かしらの理由で上敷免製で積み上げた』のかもしんない。
うーん・・・
答えは結局分からなかったんだけれども、
ヒント的なものはこの直江津の歴史を紐解くと少しだけ見えたような気がします。
実はこの直江津と言うか上越なども含めて江戸期から幾度となく『何度も大火に見舞われる地域性』だったとのこと(何故や?本州がくの字になってる部分が丁度新潟付近。地形的なことや季節風などの影響もあったんでしょうね)
それは明治も大正も昭和にもたびたび見舞われたそうっす。
さてここで煉瓦塀を追いかけて最後にたどり着いた場所を思い出してみやしょうず。
区分けする煉瓦塀ならばこんな高さの煉瓦塀はそれほど必要ないはずっす。
恐らく室町時代からある日本家屋を大火から守る為の防火壁『うだつ』と同等の理由で、
後年に煉瓦壁を積み増したのではーーーなんか想像しちゃったりしてね、アハハw
それがたまたま流通していた上敷免製だったのかも。
ま、これはあくまでも一介の煉瓦好きガールの推察なんで気にしないでね☆
(※でも的はそんなに外していないと思うんすけどね。なんせ元々、直江津駅は信越本線の終点だった時期もあるし、今ではアプトのみちとなってるけれど信越本線新潟群馬越境付近には日本煉瓦製造㈱の上敷免製の煉瓦が使われてたし、直江津まで上敷免が来てたのは不思議じゃないはず^^)
ってな感じで、結構ガチで推察してみた私。
だってもう会えないかもだけれども、酒宴で出会った日本煉瓦製造㈱のオジ様は、
『私にとって古煉瓦探求の礎の一人』ですから☆
またどこかで会えたらいいな。
そしたらたくさんたくさん煉瓦の報告したいんだ(*´д`*)
---さてさて
実はもう一つ直江津にはこれと同様な煉瓦の物件があるみたいなんだけどお、
次の電車を考えると時間が無いみたいだからまた今度ね☆
再び直江津駅まで戻ってきた私は駅直近の駅そば屋さんに目を奪われた(ズキューン)
・・・なんせ朝から飲んでしかいない(酒です)
すると地物を謳ったうどんやそばがあるじゃないですか(*´д`*)
お時間的にもサクサクいけるしと暖簾をくぐった私だすうー(*´д`*)
頼んじゃったのは『大めぎすうどーーん』
私的には『めぎすってなんぞ???』って思ったけどお、
ニギスのことなのね^^;
とは言えメッチャ空腹にズドーンと美味しいパンチを喰らったよ☆
美味しかったー(*´д`*)
偶然に立ち降りた直江津だったけれど、
色々と出会いがあって楽しかったっす^^
さて次回は富山県へと突入。
実はここもメインと思ってた所より不意打ち(偶然)が楽しかったのです。
気になる方は是非見てねw
2018-05-11 03:02
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