琴音の煉瓦刻印発見録☆『江別・旧肥田製陶工場(EBRIエブリ)ほか』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]
『大規模工場群があったにしては、すこぶる残ってるものが少ない感じ』
江別にやってきて最初に感じたのは、案外煉瓦の遺構が少ないことでした。
よく見やれば散見するんだけれど、イマドキ煉瓦ちゃんの方が多いかもね^^;
さて、そうは言っても残ってるところには残っているのですよ。
今回出向くのは『再利用物件』プラスα
ではでは行きやしょうず(*´д`*)
火薬庫跡から線路沿いを伝って歩っていると、高砂駅までやって来やした。
江別駅と野幌駅の丁度中間地点と言ったとこでしょうか。
さらにそこから歩くとーーー
一見、イマドキ風レンガ調の建物が見えてきたっす♪
でも煉瓦タイルでも、イマドキ煉瓦ちゃんでもありやせん!
ここはーーー
この建物は『EBRI(エブリ)』と言う平成28年にオープンした江別市の商業施設っす^^
昭和16年開業の『旧肥田製陶工場』
通称『旧ヒダ工場』
平成10年まで営業していたのだけれど営業不振により閉業。
その後、歴史的建造物と言うことで保存活動発足。
江別市が取得して平成28年に商業施設として再利用された物件でありやす^^
江別の煉瓦の最盛期は昭和30年代と言われていて、当時14~15社が林立してたとか。
その中のひとつと言ってもいいのかもね^^
(※昭和30年代に何故、こんなにも煉瓦需要があったか。日本の他地域では煉瓦がコンクリへと需要が奪われていた時代ですよ?
その答えの一つには北海道特有の需要があったからっす。
それはーーー煉瓦造りのサイロとか未だに見かける各お宅の煉瓦の排煙塔っす☆)
EBRIの『EB』は江別のEB。
じゃあ~残りの『RI』は?と言うとーーー
江別の代表的産業である煉瓦工場たち、
すなわち『BRICK』から取った造語なんですって!
考えた人センスあり過ぎ素敵過ぎ(*´д`*)
私ってば、お兄ちゃんみたいな廃墟好きとは違って、こういう歴史的建造物を再利用して今に残すってとっても大好き☆
じゃあ~せっかく来たんだから江別市に残る数少ない煉瓦遺構を中も外も見て行きやしょうね(*´д`*)
壁面はイギリス積み
ちなみに『新築』『増築』『解体』『復元』などを行っているので、
旧ヒダ工場のモノホンの煉瓦ちゃんが見れるかどうかはわかんないんだけどねw
(※建物の素体自体は昭和26年に火事で焼失し、同年に再建した建物なので、そこまで古いのかと言われるとどうか)
ん?
でもところどころに旧時代の煉瓦ちゃんが見え隠れしてるね^^
煉瓦の軒下っぽいところは改修されてるので別の場所に行ってみようっす。
ここはコの字型を描いた入り口付近。
そこにはーーー
如何にも昔の煉瓦ちゃんぽいとこがチラホラ☆
こっちには軒下煉瓦ちゃんもあったので煉瓦刻印チェッキーノ!
うーん・・・
一応、双眼鏡でも粗方見てみたけど刻印ぽいのは無かったかなあ^^;
さてさて、建物の裏側へとやってきやした。
そこには煉瓦の煙突が聳え立ってるじゃーありませんか(*´д`*)
さっそく刻印は無いのか!?(*´Д`)ハアハア
・・・って探すけれど見れる部位がすっくない!
ちなみにこの煙突は保存するために一度解体されてたりするっす。
外観からは刻印も望めそうにないし、一縷の望みをかけて中にでも行きやしょうか^^;
中は江別や道内の名産をふんだんに扱ったアンテナショップが所狭しとありやした(写真無しw)
ランチしてこーかなあ~ってとっても誘われるんだけど、
この後、私は『ある、煉瓦施設のレストラン』へ行く予定だったので泣く泣く我慢したっす(´・ω・`)
さて、煉瓦話に戻りやす。
内観はかなり造り替えられちゃったのか?
と言うとーーー
そうでは無かったです。
天井こそ鉄筋入ったりしてますが、むしろこちらの内壁こそ当時の煉瓦だろうと思わせる煉瓦が多かったのです^^
もしかしたらば、じっくり探せば刻印もあったかもだけどお、
人が多いし怪し過ぎりゅので簡単に見えそうなとこだけ見て脱出しちゃったよアハハw
で、この自分の根気の無さに後で後悔することとなる・・・
実は、あの煉瓦煙突が立っている裏側には駐車場があるのですが、そこからエブリへの敷き煉瓦ちゃんに、
なんと煉瓦の刻印が多く見られるとのこと^^;
煉瓦刻印ハンターって自分で勝手に思ってた自分が情けないっすマジで^^;
この記事を見たアナタ。
どうかこのエブリに立ち寄ることがあったならば煉瓦の刻印を探してみてちょ☆
さて先へと進みます。
これは1950年代のここら辺。
よく見るといっぱい窯業工場の地図記号があるでしょ?
(なんだよ・・・エブリの斜め向かい側も工場だったのか・・・^^;)
せっかくなんでこの煉瓦工場があっただろう場所を探しつつも次の目的地へと行きやしょうず^^
さてこの当時は路線が二手に分かれていましたが今はイチ路線。
エブリの脇道からどうやら線路の向こう側へと行けそうなので行ってみやしょう。
線路を潜り抜けると目の前はイオンがありやした。
ここもかつてはーーー
1975年代の航空写真を見る限りでは煉瓦の工場だったみたいっすね(図①)
さて更に真っすぐ進むよ!
進んでいくと赤色の平屋の建物が見えてきやした。
近づいてみるとアララ!
煉瓦の建物じゃん(*´д`*)
でも煉瓦タイルとかじゃね?っと注意深く見てみるとーーー
いや!
バリバリ煉瓦積みだよね?ココ。
更に進むとーーー
同じような煉瓦造りの平屋が何棟もありやした。
も、もしかしてコレって・・・煉瓦工場に勤めていた従業員さん達の社宅とか?と、ちょっと色めきだすわたし(*´д`*)
もっと間近で見たい!と思ったんすが、
んー・・・でも立ち入り禁止になってるんだよね~
しかもこの裏手側の広大な敷地は衝立建てて大規模工事中。
煉瓦工場跡地だったのか?
それとも別の建物?
再開発か何かをしてるのか?って疑問に思った。
するとーーーちょうどそこにお爺ちゃんが通りかかったので思い切って『スミマセン^^ここは何ですか?何だったんですか?』と聞いてみたの(ほんとの話よ?)
そしたら『あ~ここ?ここは昔、市営の団地だったんだよ^^』って教えてくれたんす^^
団地かあー
市営の団地が煉瓦の平屋だったのか
それはそれで煉瓦のメッカに相応しい感じだよね^^
再び登場の1975年頃の航空写真。
図②の場所が今いる場所。
1960年代の写真を見たら空き地だったんで、1970年代に造られた江別市市営団地だったのかも。
でもさあ~煉瓦造りの団地ってすごいよね!
当時の写真があったら見てみたいよお~♪
残念ながら今見た物件もそのうち解体されるのだろうけど、
ある意味煉瓦工場の遺構とかよりも『この江別市が本当に煉瓦のメッカだった』って思わせる物件だったのかもしれませんね^^
さてと、次も江別市に残る数少ない煉瓦物件へと向かいやしょう^^
それはここから数分のところでしたーーー
次回へ!