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琴音の煉瓦刻印発見録♪『北海道庁旧本庁舎の刻印☆』札幌赤れんが庁舎 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『赤れんが庁舎が暫く見学出来なくなるらしいぞ!』

 

 いっつものよーに、おこづかい稼ぎに嫌々お兄ちゃんの飯を作りに行くと、

 お兄ちゃんがとんでもないこと言ってきた!(私にとって限定)

 

 赤れんが庁舎ってのは『北海道庁旧本庁舎』のこと。

 つまりは札幌にあるかつて使っていた古~い煉瓦造りの庁舎跡なんす^^

 

『ええっ!?いつから見れなくなるの??? いつから再開なのさ???』

『なんでも今年の秋くらいから3年弱の工期で耐震補強とかするらしいぞ^^』

 

 ・・・ぐは!

 ずいぶんと先なのね^^;

 

 っつーことで私は急遽夏休みの目的地を変更。

(本当は山陰地方か熊本・宮崎を予定してた)

 いざ札幌へと向かうことと相成ったのでありんすーーー

琴音の煉瓦刻印発見録・北海道庁旧本庁舎.jpg 

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 ほんとは飛行機でグイ~んって行きたかったけれど、ゲームの育成も兼ねて北海道新幹線&スーパー北斗で札幌へ。

 

 これがまたね・・・

 上野を朝6時半に出ても到着が約午後三時ですよっ!

 4連休の予定だったけれどお、

 初日と最終日は移動だけってことになっちゃったお^^;

 

 さて実質、北海道巡りが出来るのは丸二日間のみ。

 せっかくなんで札幌以外にも近隣の小樽や江別の煉瓦遺構も見ることにしたっす^^

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 二日目。ワクワクいそいそとやって来たのはコチラ。

 う~ん。門構えからして煉瓦ちゃん。さいこー(*´д`*)

 

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 覆輪目地!

 やっぱり手抜きなんてしないよね^^

 

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 さあ、やって来たのは当然のごとく

『赤れんが庁舎』っす(*´д`*)

 見れなくなっちゃう前に来れてよかったあ~♪

 

 朝8時半だと言うのにもうけっこーな人込み^^;

 さすが観光ポイントなだけはありますな。

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 門の裏側もしっかりチェックしつつも、いざれっつ赤れんが庁舎!

 ああ~ん・・・遠目からでも素敵な佇まい~(*´д`*)

 

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 おや?

 庁舎までの前庭まで敷き煉瓦ちゃんなの?

 

 せっかくだし刻印探しましょう(*´д`*)

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 ん?

 

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 ( ,,`・ω・´)ンンン?

 

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 ナンデスカコレ???

 よく見ると刻印と言うよりも北海道各所の地名が彫ってありゅ?

 

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『レンガに刻む私のまち』

 これは北海道建設業協会ならび札幌建設業協会の創立百周年を記念して、道内の小学生たちによって刻まれた敷き煉瓦ちゃんなんだとか(煉瓦は江別産)

 

 いいね~。こういうイマドキ煉瓦ちゃんなら私ってば大歓迎かも^^

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 さて、とうとう目の前まで到達した私。

 見上げたそれは想像を膨らませていたものよりも大きく

 

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 意匠のすばらしさや

 

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 こういうものを残してくれたんだ・・・アリガトウ。

 と、いたく感動しちゃったよコノヤロー( ノД`)

 

 さて詳しいここの成り立ちは後述。

 まだ開館前だしいー

 せっかくなんでぐるりと舐めまわすことにいたしやしょうず。

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 上にばかり気を取られがちですが、腰回り部位は『焼き過ぎ煉瓦ちゃん』

 しかもツートンツーのフランドル積み!

 更におまけ付きで焼成時に塩を入れて焼しめる幻の技法『塩煉瓦ちゃん』らしいとのこと。

 門司の煉瓦やここにしか使われてないってんだからレア煉瓦ちゃんだよね~(*´д`*)

 

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 さて、赤れんが庁舎を見ていてふと北門前に広がる(もしくは現庁舎前)敷地に心惹かれて移動した私。

 

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 おや?

 

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 なんか国旗を掲揚するようなスペースがあったんだけど、

 そこにも煉瓦ちゃんが!

 しかも見た感じ古そうな気がする。

 更に言えば先ほど見た赤れんが庁舎の腰回りの焼き過ぎ煉瓦ちゃんと同様に思えるんだけどコレって何さ!

 

 その答えはすぐそばにありました。

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『開拓使札幌庁本庁舎跡』って場所だったようっす^^

 

 開拓使についてはもうお兄ちゃんのブログ(居酒屋けいば)や私のブログでさんざん書いたから割愛するけれど

一番重要な部分じゃん!

 

 こちらは明治5年着工。竣工明治6年の建物『でした』

 

 簡単に言えば北海道開拓幕開け時代の一番の中枢施設

 むしろこっちの方が開拓使開設当時は重要な建物でした。

 

 赤れんが庁舎はそれから遅れること13年起工。

 明治21年竣工の弟分だったんす^^

 しかもお兄ちゃんの建物に影響受けてたってんだから、そりゃ~さっきの煉瓦ちゃんと似てるわけだよね。

 

 さあ~戻って赤れんが庁舎の外観を再び舐めまわそうですはいw

 

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 見上げてみるとあるものに気づくと思いやす。

 それはーーー

 

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『☆のマークがいっぱい』ってことに^^

 

 これは『五稜星』

 5つの角の赤星。

 かつての北海道のシンボルマークっす(いや、官の旗章・徽章かな。道が関わった旧開拓使時代の建築物には同じような五稜星があつらってある)

 これを探してみるのも面白いかもしれませんね。

(多分、10っこ以上、この建物の外観には見えると思うんだけど、もっとあるかも)

 

 さてさて。

 実は私、ただ外観を眺めていたわけじゃない。

 もちろん『刻印を探しにきた』

 

 軒下煉瓦ちゃんも数多く顔を覗かせているし上を見上げて探し続ければ刻印も見つかるかもしれない。

 でも制止ロープが横たわっていて『外壁直下には近づけない』んすよこれがまたw

 だからどうしてもカメラや双眼鏡では角度的にキツイのね^^;

 だけんどね?

 

 お兄ちゃん曰く『腰回りの焼き過ぎ煉瓦にも刻印が存在するって本で読んだことあるぞ^^』だそうっす!

(※ 18章でつづる北海道 赤れんが庁舎物語です)

 

 だから私は焼き過ぎ煉瓦ちゃんをグルっと一周、双眼鏡で刻印探しをしていたのだ(残念なのは自分が刻印発見一番乗り!ではなくなっちゃうことだけどしょーがないよね^^;)

 

 そんなこんなでずっと目を凝らして・・・

 観光客に訝しげに見られようが・・・

 めちゃくちゃ多い中国人観光客に怪しまれようが・・・

 道庁へ出勤される皆々様に振り返られようが・・・

 ずっと我慢の子で探したのよ。

 

 うーん・・・でも正門から時計回りでグルっとしたけど全然見当たらないよー^^;

 もうすぐ元の正門前に来ちゃうよぉ…

 

 そんな折!

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 制止の鎖や庭木の向こう側にそれは見えたのです☆

(分かってもらえると思うけど光学50倍以上とか双眼鏡とか無いと無理ゲーな距離)

 

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 ぐおおお!

 

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 きたああああああああああああああああああああーーーっ!!!(*´д`*)

 

 しかも、

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 ゴール手前にももう一個あったああああ!

 

 つまりは右回りで北側へと廻っていれば速攻見つけられていたってことですw

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 この煉瓦刻印は『平煉化場』と言う工場の製品なんだそうっす^^

 

 赤れんが庁舎には約250万個の煉瓦が使われているんだけど、その内訳は近隣の白石村にあった4軒ほどの煉瓦工場の煉瓦が主なもの。

 その中でも『鈴木煉瓦製造所』が主体(?)だったとも。

(この鈴木煉瓦はこの後の北海道シリーズに随所に出てくるから覚えておいてね☆)

 平煉化場さんはその中のうちの一つなのかな? 

 

 本にも載ってる刻印とは言え発見出来て嬉しい(*´д`*)

 まあ~ぶっちゃけ現状、望遠カメラ無いと絶対見られないレア物件だしねw

 

 さて、開館時間になったし、せっかくだし入館することに。

 ただし私ってば基本『レンガにしか興味が無いので写真の羅列です(ニッコリ)』

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 ん?

 立ち入れない地下に怪しいブツを見つけたので思わず羅列を止めるわたしw

 

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 おお~!

 地下にある敷き煉瓦ちゃんは外壁周りの近づけない場所にある敷き煉瓦ちゃんと同等の物みたいっすね。

 どっちも間近で見てみたい・・・^^;

 

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 ディンティル状に突き出ていた丸みを帯びた意匠煉瓦ちゃんは鳩煉瓦って言うのね。知らなかった・・・^^;

 

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 こっちも煉瓦が展示!?

 と、色めきだったわたしっちだったけど、

 

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 木れんがだった^^;

 でも今も前庭の地中に埋まってるんだってさ(掘り起こしてーw)

 

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 バルコニーにも五稜星☆

 

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 退館後も、頑張って見上げて刻印探しをしたけれども、

 明治42年の火災後の修復工事や昭和43年の復元工事などで 竣工当時の煉瓦なのか分からないのでザっと見回して諦めちゃったw

(首が痛いのよ!しかもこんな巨大物件、時間がたくさん無いと無理ゲーw)

 

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 かつて試験的果樹園であり、凍れば道民の簡易スケート場などの娯楽としても活躍した池のほとりを歩いて次への目的地へ向かうことにした私。

 

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 よく見れば、こんなところにも昔の煉瓦の名残なんかもあったりしやす^^

 

 さて次回は小樽へ!

 ここにも煉瓦ちゃんがたくさんありました(*´д`*)

 

(追記。前記事の最後には広島シリーズのおまけとして、次記事に宿泊した東広島市西条の赤煉瓦煙突群を書く予定でしたが・・・

 豪雨災害があったこともあり忍びない感じがして・・・

 ツイッターなどの小記事としていつか掲載するにとどめることにいたしました。ご理解を)

 



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琴音の煉瓦刻印発見録☆『うさぎ島の刻印☆ファイナル』広島県大久野島 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『ルイサイト』

 

 これは大久野島で二番目に多く造られた『毒ガス』っす。

 
 通称『死の露』
 
 その威力は悲しいかな、前述のイペリットと併用されることで更に真価を発揮しちゃうの。

 

 イペリット同様、ゴム皮で防御しようが皮膚に浸食貫通。

 それは内なる皮膚、つまりは目鼻口からの呼吸器官も爛れさせる。

 

 しかもイペよりも即効性。

 遅効性のイペと合わさると、人と言うのは『視力を失い、喉を掻き、その場に突っ伏すしか無い』の。

 

 そんな恐ろしきものがこの小さな小さな離島で逐次、蓄えられていた・・・ってことなの。

 

 さて私は大久野島の海岸線を煉瓦求めて歩き出した。

 そこで見たものはーーー?

琴音の煉瓦刻印発見録♪『うさぎ島の刻印ファイナル』.jpg

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 海辺をてふてふあるっていると、山肌に大きな人工物が見えてきやした!

 

 あまりにも大きな構造物。

 ふと、手前の柵にある看板に目が行く私。

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 毒ガスの年間生産量!?

 ウォークラリーのQ&Aにしちゃめっさ物騒!

 

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 煉瓦・・・ではないね。

 コンクリの巨大な構造物っす。

 

 答えはすぐそばにあった。

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『長浦毒ガス貯蔵庫跡』

 

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 この島最大の毒ガス貯蔵施設の名残だったわけっす。

 

 その生産量は年間最大で6616トン。

 正直、数字を言われてもピンとこないんだけど、

 気化する前の液体がこの膨大な量なんでしょ!?

 想像しただけで私は震えてしまったっす・・・

(100トンタンク六基収納。日本屈指の毒ガス貯蔵場でもあった)

 

 こんなえげつない施設跡にも

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 ポップでキュートなウサチャンが沢山遊んでたっす。

 

 でもこのウサチャンもまた『毒ガスのバロメーターモルモット』だったそうっす。

 

 今、この島を闊歩しているウサギチャンは近年に放たれたものなんだそうですが、

 戦前戦時中は『毒ガスの検知を測る為の実験動物』だったっす。

 

 言わばモルモット。

 生き物の『生』って何だろうと思わされる行為。

 

 医療医薬の糧となった犠牲になったのなら・・・

 せめて・・・ほんとせめてもの救いを思うのだけれど、

 殺戮兵器の犠牲だもんなあ・・・

 うかばれないよね・・・。

 

 さて、飛び回ってるウサチャンには関係ないのだけれど、私は彼らに手を合わせつつ次へと向かった(彼らは昔のウサチャンの子孫じゃない。なぜなら戦後に全羽処分になったから・・・)

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 島にある休暇村の使って無さそうなテニスコート裏にもまた毒ガス貯蔵庫があったっす。

 

 さてこのルイサイトとかイペリットガスは『戦後どうなったかと言うと?』

 占領軍。つまりは米軍の指揮下の下に、土佐沖などに海洋投棄。

 もしくは・・・埋没処理。

 この島の土中深くに今も埋もれている・・・訳なんす^^;

 

 その先にもまた

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『三軒家毒ガス貯蔵庫跡』なるものがあったよ。

 

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 中を見やればーーー

 

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 鉄骨が剥き出しの状態。

 煉瓦ではダメだったのかな?と勘繰る(毒ガスの腐食耐性はありそうだけど、昭和だし煉瓦は使われなかったんだろうね)

 

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 台座はそのまま今も残り続けてた。

 

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 さて、島内一周も残りわずかってところで休暇村前まで到着っす^^

 

 でもこのホテル前の突端(岬)にも、まだまだ遺構があるらしいので行ってみたっす^^

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 階段を昇って行くとーーー

 コンクリのいかにもって場所にたどり着いたっす。

 

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 噂だとここには煉瓦もあるらしいんすが・・・

 

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 どうやら・・・立ち入り禁止のこの道を下って行かないとそれは拝めないご様子^^;

 お兄ちゃんなら行くんだろうけど、私はやめといたっす^^;

 

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 ここは『南部照明所跡』

 つまりは夜間の敵艦発見の為に造られたサーチライト。

 

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 今治の小島にも同じような施設があったよね^^

 ここの入り口部位が煉瓦アーチなんだそう。

 

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 さてそのまま大久野島の南端へと出てみやした。

 

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 そこには白亜の石積み灯台が(残念ながら崖崩れの恐れありで近くでは拝めません)

 

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 残念ながら今目の前に見えている灯台は平成のブツ

 

 さあ・・・この後はどうしよう。

『煉瓦遺構』は正直もう残りわずか。

 船の時間も迫っているしー

『可能性を求めて』駆け足で先へと進むっす。

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 やって来たのは『研究所跡』

 ここでは当然、毒ガスの研究が行われ、そして備品庫棟としても使われた訳っす。

 トラロープ張られて近づくことも出来ないし、煉瓦の有無も確認できなかったので撤退^^;

(たぶん無い)

 

 もう煉瓦は無いのか!?

 もう望みは薄いのか!?

 最後の砦『南部砲台跡』へと私は向かうことにした。

 

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 研究所跡から緩やかに丘を登って行くと半分埋没しかけている煉瓦ちゃんがお出迎え(*´д`*)

 煉瓦ちゃんの登場にドキドキしたんだけれど、

 なんかここ、他の砲台跡より扱いが(整備が)ぞんざいな気が・・・^^;

 

 敵艦が恐らく通るであろう北部の海峡方面よりも重要度が低かった?からなのかな(どちらかと言えば、観光化した人の扱いがそもそもなんだけど^^;

 因みに1900年竣工。北部とほぼ同時期。中部砲台は1年後)

 

 ・・・さて、

 この手の砲台跡に残る煉瓦ちゃんってのは『煉瓦の刻印を見させない鉄壁な守り』ってのはさんざん見てきた訳です。

 

 煉瓦の平面を見せるような造りなんて、そもそもしてないのだから・・・(ほぼ、石材で笠の部位や腰回りなどを囲ってあり、一部の隙も見せにゃいw)

 

 やっぱりここもダメかあ~・・・って諦めかけた。

 するとーーー

 !?

 ん?

 

 おや!?

 どうやらここは砲台跡の上部に『ぐるりと砲台を確認できる(見渡せる)道が備わっていた』のですよ!先生☆

 

 その道の『際』にヤツが見えた私は、猛ダッシュで砲台上部へと駆けあがった(*´д`*)

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 うは!煉瓦ちゃんの平面バリバリじゃん(*´д`*)

 

 でも何で同時期に造られた北部砲台とは真逆の造りなんだろ?

(あちらは煉瓦積みもあれど、その上部下部は堅牢な石積み。

 でもこちらは石積みが主体で笠の部位が煉瓦

 

 私は軍事評論家でも何でもないので考察は後回しw

 とりあえず目の前に煉瓦ちゃんが居る訳です。

 これは刻印探しセネガルってことでー

 レッツ煉瓦刻印探しスタートっす(*´д`*)

 

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 ああ~ん・・・

 こんなにも裏や表に煉瓦の面が丸見えだっつーのに、残念ながら刻印と呼べるものは傷すらありやせんでしたあ^^;

 

 せっかくなんでもっともっと探してみるわたし。

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 うーん・・・でもやっぱり無かったかなあ。

 あるのは堅牢な石造りの砲台跡だけでしたっす^^;

 

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 もしいつか、『石材や煉瓦などを透過出来るようなカメラでも開発されたら』

 もしいつの日か、『煉瓦積みを透過出来て刻印だけ見られるカメラとか出来たなら』またここに来てみようかな^^

 

 ・・・と言うか

 そんな素敵なカメラが開発されたなら日本全国の煉瓦建築を全部巡るに決まってる!

 そんなのあったら多分、

 楽しくって嬉しくって全国駆け巡っちゃうね^^

 

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 さて残り時間もあとわずか。

 蔦生い茂る廃タンクなどを見つつも桟橋近くへと戻ってきた。

 

 ・・・ここで失敗したのが・・・

 本土へ戻ろうと予定していた客船のちょっと前にフェリーも就航していたことに気づかなかった誤算。

 

 だって時刻表にはフェリーはこの島に立ち寄らないって記載されてたんだもの・・・(私の見間違いかもだけど)

 

 まあそれはいいのですう。

 自分が当初の帰りギリギリ予定の客船を第2桟橋で待っていたらーーー

 この島を周遊しているバスの運転手さんがバスから降りてきて、

『お嬢ちゃんこんなとこでどうしたの? もうここから船は出ないよ?

 次の最終便の手前の船は第1桟橋からだし、ここから数百メートルのとこだよ^^;』と教えてくれたのだす(えー

 

 ・・・慌てて私は別の桟橋へ向かうことに^^;

 まあ~時間的余裕はあったはずなんだけれど、思わず駆けてしまったw

 

 さて、何とかこの島で野宿・・・とかは無さそう。

 第一桟橋が見えてきたところで安堵。

 もう後は船を待つだけ。

 

 刻印らしい刻印探しは旅初めに訪れた弾薬庫跡だけだったから、ちょびっと不満なとこもあるけどこれはいつものこと^^;

 

 でも船を待つ間にキャンプ場で煉瓦刻印を見つけたよ☆

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『KTKの耐火煉瓦』

 かまどにこれでもか!ってくらい刻印面を並べて連なってたw

 どこの耐火煉瓦かな?って調べたけれど、結局分からなかったんだあ^^;

(煉瓦刻印の関西の大御所さんの記述を閲覧しても不確定でした^^;)

 まあ、白煉瓦は赤煉瓦よりもかなりマイナーで調べ上げるのは困難だしねw

 

 さて大久野島と煉瓦のお話はこれでおしまい。

 後は予約したホテルに行って翌日帰るだけだったんだけどーーー

 予約したホテルの土地にもまた煉瓦がいっぱいあったので、おまけとして次回へ続きやす(*´д`*)えへへ

 


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琴音の煉瓦刻印発見録♪『うさぎ島の刻印☆中編』広島県大久野島 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『イペリット』

 通称『芥子瓦斯』とも言われていました。

 

 その液体は辛子臭のする無色の液体。

 それが気化すると空気よりも5倍の重さ。

 風にも中々飛ばされず、

 その場に留まり、

 そしてーーー

 その空気に触れるとあらゆる肌の部位から蝕み

『約一分で人を死滅に追いやる・・・』

 

 ・・・うう。。。

 そんな毒ガスを旧日本軍が生産していたのが今回、私が地を踏んだ『大久野島の黒歴史』なの。

 

 島々に放たれた島のアイドル『うさぎちゃん達』の向こう側の歴史を気にしつつ、私は散策を続けることにした。

 

 いざ中編すたーとっす。

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 やって来たのは島の北端にある『北部砲台跡』っす^^

 

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 開口部があるので覗いてみるとこんな感じ。

 コンクリかあ・・・って思うけれど、

 

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 その上部の砲門跡の障壁は煉瓦ちゃん(*´д`*)

 せっかくなので刻印探しにいそしむけれど、そんなに甘くは無いよねw

 

 だもんで、

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 海側の崖伝いに裏側を見てみようと思ったの。

 うがー・・・でもでも藪が濃いし坂だし断念したw

 

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 ここは説明版にも書いてあるように仮想敵国『露西亜』を迎え撃つために造られた『芸予要塞の大久野島堡塁、北部砲台』の跡なの(1897年建造~1924年廃止)

 

 芸予要塞ってのは瀬戸内海まで来ちゃった敵の侵攻を阻止するために造られた要塞っす☆

(友ヶ島のある由良要塞とか四国と大分の間にある豊予海峡の豊予要塞が突破されたらここで迎撃)

 

 この北部砲台は大久野島で一番最初に建設された砲台だったりもするっす^^

 

 さて目ぼしい煉瓦ちゃんが無いので更に奥へと行きやすよ^^

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 途中、煉瓦の門柱のようなものを発見。

 

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 その近くには観測所跡へと通じる階段があったんだけど・・・トラロープがあったのでお痛はやめといたっす^^;

 

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 半地下の砲側庫跡を横目にズンズン先へ

 

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 上部は石積みかあ。

 

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 でも庫内は煉瓦積みだね(でも入れない)

 

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 煉瓦アーチのトンネルを抜け

 

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 北部砲台最深部の兵舎跡前に到着したわたしは、

 上部のカノン砲台跡に行ってみた(煉瓦あるかな?って)

 

 そしたら砲台跡にしちゃヘンテコな土台跡ばかりじゃないのさ^^?

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 再び下へと降りるとしっかりここの説明版がありやした^^;

 ここは『毒ガスタンク台座跡』

 

 さて何故砲台跡に毒ガスタンクが?を説明しなきゃいけないっすよね。

 

 実は芸予要塞大久野島は『一度も使われることなく廃止された要塞』なんす^^

 日露戦争に勝っちゃったしー

 他の近代的要塞が出来ちゃったことによって用済みになっちゃうのです。

 

 カノン砲は勿論撤去。

 でも第一次世界大戦時、各国で『毒ガス戦』が行われたのを見てきた陸軍が、

 いずれ来るであろう戦争で『我が国も毒ガス研究を!』と考えてしまった訳。

 

 そこで昭和の4年、万一の事故など毒ガスの被害が出ても『この小さな離島なら最小限に・・・』と、この大久野島を再び利用することになったんす(ひでー話だよ?時勢とは言えね?)

 

 だからこの台座はその時の名残なんですよね。

 明治大正昭和と用途は違えど、ほとんど戦争の為に使われてしまった悲しい離島なのです。。

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 さて煉瓦らしい煉瓦もあったけれど、刻印なんて見つけられそうもない鉄壁な守り^^;

 

 さて次にどこを目指そうか迷った。

 同じような砲台跡がこの島には3つあるっす。

 ここから近いのは島の中腹にある中部砲台跡。

 

 お兄ちゃんの昔の記事や画像を見たことあるので、大体はどんなとこなのか想像がついていた。

 どう考えても煉瓦成分がそこまで無いのであんまり気が進まないんだけど、

 一応目指すことにしたっす^^;

 

 山道をうんこらしょと登っていく私。

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 北部砲台から中部砲台の登り階段の途中が、踊り場的に急に開けた。

 う~ん、どう考えても昔何かがあったっぽい間取りやないのさ!

 

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 よくよく見れば煉瓦ちゃんもいっぱい(*´д`*)うひょー

 

 説明版があるのかな?と見渡せど何も無く・・・^^;

 結局『何かの建物跡』なんだろうなってことしかわかんない。

 まあいいや。

 こんなに煉瓦の平面が露出してるとこはそうそうないだろうって事でレッツ刻印探しに没頭です(*´д`*)

 

 ・・・

 ・・・

 ねーしっ!!^^;

 

 ーーーさて、

 本来ならこのまま中部砲台まで行こうと思ってたわたしだったけど、

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 船の時間も考慮して海岸線ルートに戻ってしまった^^;

 うーん、天気よくって素敵な瀬戸内海(*´д`*)

 

 ここは大久野島北端。

 突き出た岬にも何か名残はあるのでは?と散策しやした。

 するとーーー

 

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 久しぶりにヘビちゃんに遭遇。

 シマヘビかな???

 わたしはこの子は好きだけどアオダイショウは嫌いなんすよね~^^;(奴は威嚇するし。この子は大抵、逃げる。しかもちょっぴりキュート☆)

 

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 岬の突端にも旧軍の遺構があるらしいけれど、どこから行けば良いのかわからず断念(フェンスあるし、海沿いだと岩肌を登らないといけないので)

 

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 よくよく見ると海岸線の石には城の石垣の矢穴のような跡が。

 ん~・・・でもこれはたぶん、

 昔から存在したものじゃなくって、

 近代に護岸整備の石の切り出しに矢穴と言うよりももっと細い杭みたいなもので打ち付けて切り出した名残なんでしょうね(豆矢とか)

 

 さて中編もここで終わり。

 本当は煉瓦だけに焦点を絞って一話で終えるつもりでしたが、

 魅力もアリ、勿体ないので3部作の後編へと続くよ(*´д`*)

 


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琴音の煉瓦刻印発見録♪『うさぎ島の刻印☆前編』広島県・大久野島 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『お前に命令だ』

 

 ・・・ハア?( ゚Д゚)

 

 何時ものようにお兄ちゃんちの飯を作りにスタコラサッサのわたし(まあでもおこずかい貰えるんだけどね☆)

 そこで兄者から突然の指令が下ったのでありんす。

 

 ミッション(打明け)はーーー

『うさぎちゃんの島で煉瓦刻印を探せ!』とのこと^^;

 聞けば広島県だってーじゃねーかよおい!

 

 するとーーー

『オレは仕事で忙しいからコレを何も言わずに収めてくれ』と、お兄ちゃんが万札を数枚私に課金してくれたのである。

 

『どしたのコレ?』

福永祐一様のおかげ』と短い一言以外多くを語ってはくれなかったんだあ~(たぶん競馬だよね。ダービー?)

 

 っつーことで、今回は広島の離島を目指します。

 お兄ちゃん曰く『煉瓦に興味がない時代に訪れた島だから』とのこと。

 いざいきやしょう。お兄ちゃんのリベンジ戦へ!(*´д`*)ウヒョー!お金いっぱい☆

琴音の煉瓦刻印発見録♪大久野島前編.jpg  

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 新幹線を乗り継いでやってきたのは『忠海港』

 ここからその渡船が出ているとのこと。

 

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 早速、乗船チケットを求めて来たらばビックリだよ!

 わたし・・・今までこんなお洒落なターミナル見たことねーよマジでw

(お兄ちゃんに写メ送ったら『オレが行った時はもっと簡素だったのに・・・』だってさ)

 

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 さて乗船時間約15分くらいで到着。

 

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 今回訪れたのは『大久野島』と言う瀬戸内海に浮かぶ小さな小さな離島です^^

 

 まあ~私もここに来る前にちゃんと予習したっすよ。

 この大久野島には『かつての大日本帝国陸軍の遺構が残ってる』ってのはね^^

 そして昭和初期には『地図から消された島』だったのも当然理解しつつやってきた。

 

 今では観光地化でカモフラージュされてるけれど、ここには『戦争とはこんなものも生み出してしまう』のを少なからず私たちに教えてくれる島ーーーと言うのもね。

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 さて、待合所で簡易な地図を手にした私は早速離島散策に進もうと思った。

 

 ・・・思ったのだが『行く手を阻むモンスターが幅を利かせてるから気をつけろ!』と、お兄ちゃんから念を押されていたことを思い出す。

 

 でもおー

 もんすたーってあほかw

 そんなもん居たらニュースですぞ!と脳内で笑い飛ばしてやっぱり先を急ぐあたし^^

 

 そしたら出たよ本当に行く手を阻むモンスターが!

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 やーん(*´д`*)

 

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 うきゃーん(*´д`*)

 

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 かんわいいーモンスターちゃんがいっぱああい(*´д`*)

 

 もうそれはいたるところでじゃれ合い、

 私を見ては襲ってきたの(*´д`*)コレは先に中々いけねーw

 この島に解き放たれたウサギたちとこの島の過去については次回でお話しようと思います。

 

 さて海沿いを右回りで北上するとーー

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 かつての日本軍の石組みの桟橋が今も残されていました。

 

 その対となる山手側を振り返ると

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 こんな感じにコンクリのトンネルが。

 んー・・・でも壁面には悪戯書き(一部、米軍接収時のペイントも残されてます)

 

 ここを潜って行くとーーー

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 おおおー!

 コンクリの素敵な廃物件がドーンとお目見えっす。

 

 1929年建造。この島の電力を担うために造られた発電所の名残っす。

 お兄ちゃんなら制止柵こっそり越えて内部も撮影するオイタをするんだろうけど、

 私は興味ないのでパスね^^

 

 さてさっさと次へいきやしょう。

 実は・・・

 今回、わたしってば寝坊しちゃってさあ

 帰りの船便が2船しか猶予が無いのよw

 しかも宿が忠海駅から1時間ちょっとの場所になってるから実質次回の船便で本土へ戻らないといけないの^^;

 

 だから忙しなく行きますよい^^

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 次の目的地は『火薬庫跡』

 陸軍・・・火薬庫・・・ってくれば間違いなくアレがあるはず。

 

 そしてやっぱりアレはあった。

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 昔の日本軍は煉瓦好き☆

 ここもまた違わぬことに、立派な煉瓦の遺構が残ってたよ^^

 屋根だけが朽ち果てているのもまた日本各地の火薬庫跡同様っすよね

 

(堅牢な煉瓦や石積みで周壁を造り、屋根は簡素な瓦葺やトタン葺きなどにすることで、不意の爆発の脅威を上へと逃し、極力延焼を防ぐ効果。

 だからこそ雨風雪などの経年劣化と共に最初に弱い部位が欠落崩壊する訳っす)

 

 さあ~て!

 さっそく煉瓦ちゃんを見て周りやしょうず(*´д`*)

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 入り口部を除いて小さな縦窓が10(上部も入れれば12)

 壁面の積み方はイギリス積み。

 煉瓦は当然赤煉瓦なんだけど、微妙に焼きムラもあるしそこまで均一統制のとれたちゃんとした煉瓦ちゃんでもないかな。

 

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 窓跡から中を見れば背丈の高い草ボーボー。

 お兄ちゃんに服装まで注意受けてなかったから生足にサンダルで来ちゃったので中に突貫はやめまちたw

 

 さてと。

 この火薬庫跡も所々蔦が被さってはいるけれど、

 よ~く見上げれば軒下の煉瓦面も見えた。

 だから私はカメラのピントをそこに這わす。

 

 するとーーーーーー

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 んっ!?

 おや???

『井形の刻印』見っけえ!(*´д`*)

 

 これは明治27年創業、その後、大阪窯業に吸収合併されるまで大阪府貝塚市に存在した『貝塚煉瓦』の刻印じゃん(*´д`*)

 

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 私は軒下煉瓦を追って煉瓦壁を回り込む。

 

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 そこから覗き込んだ火薬庫跡内部もまたいいね!

 

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 こっちは切妻屋根の部位。

 カメラ的に随分と遠くなっちゃうけれど、

 そこは光学ズームの餌食となれ!w

 

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 おおー!

 こっちもあっちゃこっちゃ貝塚煉瓦の刻印がいっぱい(*´д`*)

 

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 がむばって裏側(海側)にも行くわたし(海側は人工的に盛り土した丘が窮屈に迫っていて先に進むのが大変^^;)

 

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 一部に瓦が乗っかってた。

 つまりは昔は瓦葺だったみたいっすね^^

 

 んでもって、こっち側にもおーーー

 

 

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 貝塚煉瓦の井桁の刻印が(*´д`*)

 

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 全周めぐってみようと思ったけど、その狭さと虫の多さに断念して入り口前まで帰ってきたw

 

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 蔦の下にもあるんだろうね。刻印とかさ^^

 

 もしかしたらば貝塚煉瓦以外も見つかるかもしれないけどお、船の時間も無いし、

 まだまだこの島を多く見届けたいから後にすることにしたっす^^

 

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 火薬庫跡にバイバイしたけれど気になってた屋根部位を望遠でパチリ。

 やっぱり瓦葺だったんすね。

 

 さて、このあとはこの島に幾つか残っている砲台跡へと向かうんすが、

 海へと下る正規じゃない散策路を発見。

 どうしても気になったので降りてみることにしたの^^

 

 するとーーー

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 なんかコンクリの物体八犬伝!

 

 のぞき込むとーーー

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 んん・・・なんだろ?コレ。

 旧日本軍関連の遺構・・・なのかな???

 

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 その目の前には綺麗な海が広がってたよ^^

 

 いい眺めだ・・・と、しばしの安息に浸ってた自分の視線の前に、ひょこひょこと動く物体が現れた!

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 鴨が海辺で水遊びしてるの初めて見たかもしんない!(*´д`*)たのしそおー!

  

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 せっかくなんで浜辺に自分がここに来た証を残したってところで次回に続くっすw

 

 次は煉瓦成分少ないけれど、この島はいったい何の為の島だったのか?を説明したいと思います(芸予要塞の解説してないしね)^^

 

 ではではまた今度。


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琴音の煉瓦刻印発見録♪『耐火煉瓦、東のメッカ?いわき市へ』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『煉瓦にもジャンルがあるっす』

 

 大きく二つに分けるなら建築用煉瓦として『赤煉瓦』

 そして、

 その赤煉瓦よりも耐火性を重視し、より高熱に耐えうる為に焼かれた煉瓦『白煉瓦』

 

 白煉瓦、つまりは『耐火煉瓦』って呼ばれるものっす。

 

 白煉瓦先輩は主に工業用の『炉材』として使われてきました。

 溶鉱炉などの耐熱性外壁内壁としてが主なとこかなあ^^

 

 簡単にイメージしてもらうなら皿や陶器を焼いたりする登り窯の窯に使用されたり、

 今ならピザ窯なんかにも使われたりとかかな。

 

 その歴史は『日本産に限定すると赤煉瓦よりも白煉瓦の方が歴史が古かったりする』の。

 まあ~語っちゃうと長くなっちゃうので割愛w

(※韮山反射炉など幕末に大砲の砲身の鋳造が必須な時代に赤煉瓦よりも先に白煉瓦が日本で造られた)

 

 さて前口上(アバン)はこれくらいで。

 

 いつものようにスマフォの位置ゲーの為にダラダラと遠出したら煉瓦に出逢っちゃったってお話でやんす^^

琴音の煉瓦刻印発見録♪『いわき市磐梯シャモット』ブログ用.jpg

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 いつものようにお約束でしょうか。

『レキシトコネクト』『駅メモ(ステーションメモリーズ)』の育成を兼ねて遠出したっす^^

 

 今回目指したのは『福島県』

 も~お兄ちゃんや夕実っちとも何度も出かけてるんだけれども、

 磐越東線(郡山~いわき)って路線に乗ったことが無かったの(会津~郡山の磐越西線は煉瓦絡みで何度もお世話になってまーす☆)

 

 だもんで、

 今回は煉瓦目的ではなく『ゲームの為だけに福島県の路線制覇の旅』に出かけたのだあw

 このブログ的にあるまじき行為っすよねw

 

 さてと、

 延々と常磐線に乗ってたら福島県は『いわき市』に到着っす。

 後は、ここから初乗車の磐越東線に乗り込めばいいわけなんだけどお・・・

 これもローカル路線お約束でしょうか。

 次の電車までの乗り継ぎ約一時間のインターバルの壁が降りかかりやした^^;

 

 じゃあ・・・飯でも食って暇つぶし・・・

 

 とはいかないのが私っち!

『ならば煉瓦を探すのが自明の理』っすよね?w

 

 いわき市・・・煉瓦・・・いわき市・・・

 ・・・ん?

 あれ?

 

 そう言えば~

 過去に煉瓦で調べ物をしていて『いわき市』に何度か触れたことを思い出した私っち。

 

 そう、このいわき市は『煉瓦にも深いかかわりのある街』だと言うことを思い出したの^^

 

『煉瓦にも一大生産地』ってものが存在します。

 東西、日本を分けるとするならばーーー

 

 赤レンガで言うなれば関東は荒川流域などの赤煉瓦中小工場群や日本煉瓦製造㈱など埼玉がかつてのメッカでした。

(※生産量・歴史的には北海道の江別も勿論)

 

 片や西は

 愛知の碧南・安城など、

 大阪の岸和田や貝塚・泉佐野、

 その後、年代を追って広島の吉名の煉瓦工場たち、

 福岡県などにも古くから数多く煉瓦工場があったとです。

 

 じゃあ~『白煉瓦は?』と言うと、

 西は岡山備前でしょうか(岐阜も侮れない)

 

 だったら東日本の耐火煉瓦のメッカは???

 と、ゆーとーーー

 これがまたこの『いわき市』だったのね^^

(異論は当然認めます☆)

 

 ーーー早速、

 スマフォ片手にいくつか煉瓦絡みの情報を検索した私っち。

 するとーーー

磐城シャモット周辺.jpg

 駅からそう遠くない場所に『㈱磐城シャモット本社』って地図に表示されたの。

 

 それはこのいわき駅の目の前にある『磐城平城跡地』の裏手の丘、

 つまりは丹後沢公園の向こうにあるみたい。

 

 お城跡だっつーのに、位置ゲーレキシトコネクトには登録されてないじゃないかあー・・・^^;

 

 まあそれは置いておいてだよ!

 

 なぜ煉瓦検索で『シャモット』って単語がヒットしたのかを説明せねばいけませんな^^

 

 それは耐火煉瓦の材料こそがシャモットと呼ばれていたからなんすよ☆

 簡単に言えば生粘土を焼いて硬質化させてから砕いたもの?でせうか^^

 

 つまりは耐火煉瓦の工場がすぐそこ、お城跡にあるっつー訳ですよ先生(*´д`*)

 じゃあー行くっきゃないよね?

 

 本当ならばこの磐城シャモット本社の更に先に本工場があるんだけれどもー

 時間的に余裕なし。

 でも本社でも『なにか古い煉瓦とか使われてるんじゃね?』と思って磐城シャモット本社を目指すことにしやしたよん^^

 

 ---歩くこと数分

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 今では公園として整備された磐城平城跡に到着う^^

 北側のお堀(濠)はそのまま使われてるのかな?

 

 遊歩道を歩いてこの付近にあるだろう磐城シャモット本社の玄関口を探す。

 

 探す・・・

 探す・・・

 え?

 あれ!?

 どこだよ!磐城シャモット本社^^;

 それっぽい敷地が高台にあるんだけれど、入り口っぽいところが全然見当たらない・・・(なんでよ?)

 

 もうすぐグルっと一周しちゃうぞ?と焦りを感じた頃、

 それっぽいのが見つかりやした!

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 一見・・・デイサービスセンターの門構え・・・

 

 だ・け・ど!!

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 門にこっそり『㈱磐城シャモット煉瓦製造所』って書いてあったあああああ(*´д`*)

 

 表札の名前は後程出てきますので割愛。

 

 せっかくなんで入れるところまではいってみようっす^^

 するとーーー

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 庭先に『ひし形にK』の刻印の入った耐火煉瓦がゴロリ。

 

 

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 足元を見やれば『7の刻印を打つ異形煉瓦』が!

 

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 入り口付近の建物には赤煉瓦とはちょっと違う煉瓦で積まれた・・・えっと・・・ナニコレ^^;

 

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 本社とは言え、やっぱり何かしら煉瓦ちゃんがありやしたね(ブロック塀の透かしにも何故か煉瓦が置いてある。しかも全部に)

 

 流石にこの先までは踏み込めないのでここまで。

 

 さてと、一応、磐城シャモットの説明をしませんといけないよね当然。

磐城シャモット.jpg

 創業は昭和3年。所主『堅田さんが起こした耐火煉瓦工場』でやんす^^

 

 さてこれを見て欲しいっす。

旧・平町(磐城駅前付近).jpg

 これは明治40年頃のいわき駅周辺の地図っす。

 よく見ると煉瓦工場の記号が一杯でしょ?

 

 こっちも見てね↓

名称未設定 4.jpg

 これはその当時のこの付近の概略地図。

 もっと拡大してみるとおーーー

 

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 読みにくいだろうけれど、耐火煉瓦工場ってのが駅の近くにドーンとあったの^^

 

 なぜこんなにも『いわきに煉瓦工場が存在していたのか?』

 

 あたしがかつての煉瓦工場のメッカって揶揄したのかを説明しようと思うっす^^

 

 元々の流れは白煉瓦工場の代名詞とも言える品川白煉瓦が、この地を選んで支工場を設立したから。

 いわき湯本工場・いわき小名浜工場・赤井分工場など。

 

 それには理由があって、元々この磐城一体には煉瓦を得るには最高で良質な粘土層があるのが知られていたからなの(常磐夾炭層)

 

 んでもってこれがもう一つの決め手かな?

 

 磐城から茨城にかけて、この一帯は優良な炭田、もしくは炭鉱が多かったんすよ。

 

 つまり、煉瓦を得得る為に必要な火力・素材がここには集中していたってこと。

 港湾も近く、常磐線と言う陸路もあった。

 だから数多く煉瓦工場がこの地に存在したって訳なんす(めっちゃ端折って説明してるけどねw)

 

 その流れを今も汲むのが磐城シャモットさんなのかもしんないね^^

 

 さてさて、この後は駅前に戻って電車を待とうと思っていたんすがーーー

 

 

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 なんか磐城シャモット本社さんの隣の物件が気になってしまったので寄り道。

 

 うがあ・・・

 だってこんな立派な門構えのお家が『売地』ですよ?

 しかも古そう!

 気にならない訳ないじゃん(*´д`*)

 

 私の今までの経験上、

『煉瓦工場隣接地の物件には煉瓦工場絡みのブツがある』なんすよ。

 

 例えば工場主の住まい跡やその親戚の家、

 もしくは従業員の長屋とか、

 そうでなくても煉瓦工場と何かしらの縁があるとかね?

(もっと言えば、隣接の煉瓦工場から廃煉瓦を頂いて庭や塀に流用してたりとかさ)

 

 ダメで元々、探ってみることに。

 だって、今回はゲーム主体でいわき市まで来たんだしねw

 煉瓦のれの字でも見つかれば御の字ラッキーっす☆

 

 するとだよ!

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 売り物件であるこの立派な旧家屋の板塀や庭先に怪しいものがチラホラと来たもんだ!!!(*´д`*)

 

 そしてこのお家の塀伝いに進むとそれはあった!

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 いつの間にか板塀が石塀に変わり、

 その端(はた)に煉瓦が無造作に積まれていたんす。

 

 それは赤に白にと様々。

 私は思わず手に取った。

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 NYK?

 耐火煉瓦なのは間違いないっすけど(赤レンガより寸法が大きい)

 どこの耐火煉瓦なんだろ?(恐らく近年に廃業した旧・中村窯業㈱。テクノ窯工。昭和8年設立)

 

 混じってる赤煉瓦に刻印は無いの?とひっぺがえすも見つからず。

 

 だけどもう一個、耐火煉瓦に別メーカーさんの刻印を見つけたっす。

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 !?

 しょうわようぎょう!!??

 

 これはレアもの引いた?かもしんない(*´д`*)

 だって昭和窯業と言ったら北海道の煉瓦工場でも老舗だものお☆

 ん~・・・でも何でこんなとこに???

 

 だからちょっと調べてみやした。

 するとーーー

福島県・昭和窯業.jpg

 いわき市にも昭和窯業㈱が存在してたのね^^;

(恐らく内郷駅の辺り)

 多分、北海道の昭和窯業さんとは別なんだと思うっす。

 

 そして今回、何となく立ち寄って色々と知ったわけなんすが、

 その過程でぇ~、いわき市にも赤煉瓦物件が存在することが分かったっス^^

 今日は時間が無いから行かないけれど、今度はお兄ちゃんを誘って再訪しようかと思いやす☆

 

 さて駅に戻ってきた私は・・・

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 何だかんだでまだ次の電車まで20分も時間的猶予があると知る(ほんとに今までのお話は駅チカ煉瓦物件だった訳だわさw)

 っつーことで遅めのランチ(*´д`*)

 

 半田屋さんって前から気になってたんだけど、

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 いいね!このお店♪

 値段もリーズナブル!

 バラエティーに富んだおかずを自分好みにチョイスしてマイ定食を自分で作るシステム大好きだお(*´д`*)マタコヨウ!

 

 さて今回は自分としては苦手な部類の耐火煉瓦の小話でしたがいかがでしたでしょうか?

 

 私的には、ふらりと寄ったひとつの駅でも煉瓦目線からその土地の歴史を垣間見れるんだから、やっぱ楽しい趣味ですなw

 

 次回もまたゲームで途中下車した煉瓦話になるでしょう。

 んじゃ、またねー(*´д`*)

 



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琴音の煉瓦刻印発見録♪『富山県・入善町の煉瓦たち☆』旧黒部川第二電力発電所ほか [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『見渡す限り田園の水鏡』

 

 時期が田植え時期だったこともあり水田と言う名の湖が延々と広がる場所でしたよそこは^^

 

 それが突如として丘を作り、

 そしてその向こうには富山の険しい山々が私を見下ろしていたのです。

 ここは歩って面白かったっす。

 ではではスタートっす☆

 

 因みに田園風景は一切画像で出てきません(にっこり) 

琴音の煉瓦刻印発見録♪『富山県入善町の煉瓦たち☆』.jpg

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 やって来たのは富山県の入善駅。

 わたしっちの今日の目的は、ここから数キロの場所。

 

 せっかくなんで、まずは駅周りをブラリしてみたよ^^

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 駅を降り立ったと同時にニョッキリ見えた煙突にさっそく惹かれて行って見たっす。

 見た感じ煙突も建物も超ふるそー^^

 

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 煙突はコンクリかな?

 お風呂屋さんとか???

 もっと近づいて見るとーーー

 

 

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 ぐおおおおーー!

 ボイラー的な場所は煉瓦ちゃんやんけえー(*´д`*

 )

 

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 見るからに今現在は使ってなさげ。

 でもワクワクするっすね(*´д`*)

 

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 赤煉瓦だけかと思ったけれど耐火煉瓦もあたりに散らばってました。

 

 いったい・・・ここは何ぞや?と、建物を回り込むとーーー

  

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 どうやら『丸善醤油さん』の建物みたい。

 

 創業大正15年の丸善醤油㈱とのこと。

 恐らく当時のボイラー的なものなんでしょうね^^

 お醤油の生成には『高圧蒸気で蒸す』と言う工程が必須。

 昔は薪をくべてたんだろうなあー(*´д`*)

 

 さて思わぬ出会いにウキウキ。

 とは言えここで少しどうしようか迷った私。

 なんでかってーと、

 目的の場所まで歩いても行けそうだけれども雨が降ってきたら嫌だなあ・・・と思ったから^^;

 

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 結局たくしーのパワーを借りることにしやしたw

 運賃としては2500円くらい?

 

 10分くらいでーーー

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 無事とうちゃくう^^

 

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 今回訪れたのは『下山芸術の森』と言う美術館っす。

 

 ・・・え?

 美術館とかアンタに似合わねーよ?ってw

 

 まあ~行けばすぐ分かるさ何事も(勿体ぶり

 

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 何あれ???

 何か変なオブジェ?が早速お出迎え。

 

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 こっちはときたら、

 せっかくご丁寧に何なのか?を解説してくれるパネルがあったものの・・・

 擦れて全然読めません^^;

 

 とは言え分かる人にはすぐ分かるブツですよねこれw

 

 さあ~もっと先に進みましょうず。

 答えはすぐそこですから☆

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 入り口から歩いて75歩目で見えてきたのはドーン!

 

 煉瓦の建物っす(*´д`*)きたー!

 

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 もっと近づいてみよ!

 

 エントランス的な場所を降りて近づいたそれは、

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 かくも立派な煉瓦建造物でしたっす☆

 

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 その前にはオブジェっぽくこの建物で使用されていたものも並んでた。

 

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 エントランスの足元も煉瓦っぽかったので見てみたけど、たぶんこれはイマドキ煉瓦ちゃん。

 

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 でも建物の外壁煉瓦は見ても触ってもイギリス積みの古煉瓦と分かる代物っす(*´д`*)

 

 さてこの建物は何なのか?って言いますと(勿体ぶり)

『旧黒部川第二電力発電所』と言う、

 水力発電所の建物だったものっす^^

 

 竣工1926年(大正15年)

 

 本当なら・・・

 近年に取り壊しが予定されていたんすが、

 元所有者である北電(北陸電力)さんのご厚意により入善町が譲り受け、

 美術館として生まれ変わった建物なんですぜ☆

 

 いいよね・・・こういう古きをただ壊すだけでなく再利用する試みって^^

 廃墟マニアのお兄ちゃんは『廃墟の滅びの美学』が良いって言ってたけれど、

 私は逆だね。逆っすね!

 

 リサイクルだとゴミを形を変えて再利用ってイメージだから嫌。

 

 そう、言うなれば『リユース』かな^^

 

『昔あったそのままをまた別の目的で再利用する』

 素敵やん(*´д`*)

 

 さてせっかくなんで刻印も探したよ。

 

 ・・・つってもおー

 鉄道系煉瓦橋梁と並んで、

 煉瓦の平面をとことん見せない鉄壁なガード・・・

 全くもって刻印のコの字も無かったっすw

(※ 北陸はある意味関西圏の流れを持つので、関東煉瓦のように煉瓦の平面ではなく、関西系煉瓦のように小口面にも刻印があることもあるから小口面も見たけれど無かったかな^^;)

 

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 さてと美術館の入り口があるけれど美術には用事無し。

 

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 その脇の階段を昇って行きますよん^^

 

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 ここはブラタモリで言えば『へり』って奴っす。

 でも『断層』じゃないよ??

 なぜ急に田園地帯がかくも急に丘を作っているかと言えばーーー

 ここらへんは川が年月を経て削り造り出した

『河岸段丘』だからなの^^

 田園地帯は川が土砂を運び創り出した扇状地だったんすよ。

 

 んでもって、

 この河岸段丘の落差を利用した水力発電所ってのは日本では結構稀な建物なんだそうっす。

 

 ほぼ平地のちょっとした崖。

 普通ならもっと落差のある場所でタービンまわした方が効率が良いはずです。

 だから多分、それを補うくらい立山からもらい受ける豊富な水量があったからこそーーーなんでしょうね^^

 

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 導水管、すごく・・・おおきいです(*´д`*)ヤダー

 

 さてやっとこさ登頂するとーーー

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 なんか立派なタワーが建ってたので思わず登ってみたっす^^

 

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 天気が良ければもっと映えるんだろうなあ~^^

 

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 さて見下ろした先には煉瓦造りの別棟が真下にあったよ!

(勿体ぶり)

 では早速いってみようず(*´д`*)

 

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 あらやだ。こじんまりだけど素敵な煉瓦ちゃん建屋(*´д`*)

 

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 丸窓は当時からなのかな?

 煉瓦外壁は大正期だけあってイギリス積み。

 

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 入り口から覗き込むと中には『喫茶室HABA』って書いてあったっす。

 

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 さて勿体ぶらないでココが何なのかを説明せねばならないっすね^^

 

 ここも当然旧黒部川第二発電所の建物だったもの。

 

 元々は水槽上屋と言う引き込んだ水を集積する場所に建てられた建物だった訳っす。

 ここから導水管を通して下にある発電所へと水を送ってたってことなの。

 その建物もまた今では喫茶室として『リユース』してるってことなのよ☆

 

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 すぐ脇にはたっぷりと水を蓄えて流れる用水路もあったよ(*´д`*)

 

 さてと大好きな刻印探しは鉄壁のガードで成果なしw

 下界へと戻りやしょう^^;

 

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 下へ戻ると横には現役の『黒東第三発電所』がありやした。

 ここは建設にあたって、先代の発電所になるべく近づけるようにしたんだとか。

 

 残念ながら今基準じゃ煉瓦を積むのは無理なので煉瓦タイルなんだけど、

 先代と同じ煉瓦の色合いに似せたものを採用したいってことで、

 何度も何度も試験したそう。

 

 しかもーーー

 色が似てるから即採用ってだけじゃなく、経年による煉瓦の色落ちと言うかその風合いを見定めてまでタイル選びしたんだって(時間かかるよ?マジで)

 

 正直、わたしってば古煉瓦以外のイマドキ煉瓦には興味ない。

 ましてや煉瓦タイルなんてもってのほか。

 

 だけど、ここまで現状の物で先代の建物になるべく近づけたいんだって言うその気概(熱いハート)には頭が上がらない!

 と言うか愛されてるよね!素敵だよここ。

 来てよかった^^

 

 ---さて一通り見終えて駅に戻ることになった。

 

 でもバスも無いし結局帰りは歩いて駅まで戻ったよw

 んー・・・戻ってきたのは良いのだけれどおー

 次の電車まで1時間近くもあったとです^^;

 

 だったらばと言うことで、ブラブラ散策することにしたっす(駅前に酒屋さんがあるから購入して飲んで待っててもいいんだけれど、

 何かまだまだありそうな感じだったしね☆)

 

 そしたらこれが大正解だったす^^

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 入善に来た時にブラブラした際、丸善醤油さんの煙突や煉瓦ボイラーに出逢ったんだけど、

 その通り道のもうひとつかふたつ隔てた小道に入り込んだ私。

 そこには見た目真新しくも感じる『ちとせ』って言うお店があったとです。

 

 ぶっちゃけ『煉瓦とか古めかしい建物でもなんでもないやー!パス!!!』ってスルーしかけたんすが、

 

 が!!!

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 でもどう見てもお勝手口の敷煉瓦に目が行ってしまったのよん^^;

 だって古そうじゃん!

 

 開店前?だし、お店の人もいなそうだし、ちょっとじっくり見てみようかな~と覗き込んだの。

 

 するとーーーーーー

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 え!?

 何この屋号の山に石の刻印は!!??

 初めてみりゅうう!

 

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 こっちは『レ』かな?

 

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 こっちは『フ』かな!?

 

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 こっちにも『レ』???

 

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 これに至っては讃岐煉瓦みたいな『ひし形、もしくは井形』の刻印まであるじゃないのさあああ!(しかも刻印二重押し)

 

 まさかの出会いにビックリ^^;

 そのどれもがどこの煉瓦工場なのかは不明なんだけれども、ブラブラして良かったw

 

 いったい・・・この『ちとせ』さんって何なのよ・・・

 居酒屋っぽくも見えるけど何???

 

 ーーーって調べてみたところ、

 

『ちとせ旅館』と言う和風旅館でした(居酒屋かと思ってたよ!)

 でも経営者さんが陶芸家?

 なるほど、アンティーク煉瓦もプロデュースしちゃうかもね?

 とは言え入善に来て煉瓦刻印が見られて私ってば満足っす(*´д`*)

 

 さあ~あとは位置ゲーしながら富山駅へ。

 後はここから新幹線で帰宅するのみ。

 

 でもせっかくなんで富山の料理を電車までの待合の時間で食べたっすよ^^

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 白エビに~

 

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 ホタルイカの黒墨あえに~

 

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 沖漬けに~と、地元っぽいの食べました(あとはホタルイカの刺身とか。本当は白エビの丼とか食べようかと思ったけど高いんだもんw)

 

 でも富山はヤバいね!

 だって酒のつまみが旨すぎるw

(帰りは泥酔♪)

 

 次回は福島県いわき市での煉瓦との巡り合いだすうー☆

 


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琴音の煉瓦刻印発見録♪『新潟県直江津・旧いかや旅館の刻印☆』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『日本煉瓦製造㈱の上敷免製の煉瓦がどこまで流通してたのか調べるのがライフワークなんですよ^^』

 

 かつて、とってもとっても場違いながらも私ってば、

 神奈川での『ある煉瓦の懇親会』に参加してたの。

 

 それは博物館の館長さんやら学芸員さんなどがワンサカ居た酒宴だった。

 

 そこで同じテーブルに座ってたオジ様が熱く語ってたのがこの前述のセリフ。

 

 そのオジ様と言うのは、実は日本煉瓦製造㈱に勤めていらっしゃった方でした。

 創始者である渋沢栄一のことを常に『先生』と語って私に色々とお話をしてくださったのです。

 

 ただの一介の煉瓦好き少女である私は臆し、

 結局、彼との連絡先などのそういう付き合いも無くその場を終わりにしてしまったのです(大変悔やまれるっす)

 

 そのオジ様が言っていた、日本の過去の煉瓦工場としては最大手にして最古参煉瓦メーカーである日本煉瓦製造㈱の明治初期の刻印『上敷免製』

 私も日本の色んな場所へと行くる道中、遠ばずながらもそれを調べていたんすよ。てへ☆

 

 ーーーさて今回は北陸シリーズです^^

 それは偶然の産物。自分の予期せぬ場所にそれはありましたっす☆

琴音の煉瓦刻印発見録・新潟直江津・旧いかや旅館の煉瓦塀.jpg

ダル大夫・まりあ.jpg

 今回もご多分に漏れず、今ハマってる位置ゲー『レキシトコネクト』&『駅メモ』の各キャラの育成へと飛びだった私w

 

 かと言って、ただ電車に乗ってゲームだけの為に時間を費やすなんてそれこそ無駄なお話。

 当然『目標』を決めます。

 

 今回は『北陸の煉瓦』を目指すことにいたしあした(*´д`*)

 一応メインは『富山県の、ある煉瓦構造物』がメイン。

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 本当ならバビューンってな感じで、さっさと北陸新幹線で富山駅へとワープすればいいだけなんすが、、、

 越後湯沢駅でほくほく線に乗り換えて新エリア&路線獲得と言うのんびり旅行っすw

 

 

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 さてと新潟県の直江津駅まで到着。

 ここからローカル線に乗り換えて富山駅方面へ向かいやしょう。

 

 が!

 

 ここで『問題発生!』

 

 お腹痛くなっちゃってトイレにこもってたら乗るはずの電車を乗り過ごしたでやんすw

 

 あうう・・・

 次の電車まで約1時間後・・・

 ローカルって怖い^^;

 

 さてさて何回か来たことある直江津駅なんですが、下車して街並みを覗いてみたのは一回こっきり。

(※10年前に金沢競馬場を目指していた時にブラっと歩いてみただけ)

 

 せっかくなんで暇つぶしに街巡りでもして時を過ごしましょうず☆

 

 でもどうせなら『やっぱり煉瓦』がいいよね!

 

 そう思った私はスマフォでさくさく検索したのでありんす。

 するとビックリ!

 どうやら駅前にめっちゃ古い煉瓦構造物があるらしい・・・

(駅前に煉瓦構造物があるだなんて知らなんだ^^;)

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 それは駅前にある『ホテルセンチュリー・イカヤ』の裏手にあるらしいっす。

 

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 グルっと回ってみれば、こっちがメインホテルなのかな?

 立派なホテルがドーンとあったとです。

 

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 そこの脇の路地を進むとおーーー

 

 

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 あらら、

 ほんとにいかにもめっちゃ古そうな煉瓦塀があるじゃないのさあ(*´д`*)

 

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 造りとしてはイギリス積み。

 ところどころ焼き過ぎ煉瓦も散在。

 

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 ん?なんだろ?

 煉瓦で閉塞したアーチ部位もあるっすね。

 

 通用門か何かを煉瓦で後から埋めちゃったのかなあ???

 

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 その上部は蛇腹の装飾煉瓦ちゃん^^

 わざわざ煉瓦塀に飾りを入れるんだからお金持ちさんだったとかかな?w

 

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 その塀の向こう側には入れないみたい。

 でも戸の隙間から見たそれは表側と変わらずの古い煉瓦塀でした。

 

 さて、せっかくなんでいつもの刻印探しをしようっす(*´д`*)

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 ん~・・・辛うじて突出してる軒下煉瓦面にはそれらしいものは無いかなあ・・・

 

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 とは言え、この煉瓦塀、

 まだまだ角を曲がっても続いてるよ!?

 

 せっかくなので行けるところまでその煉瓦塀を見に行くことにしたお(*´д`*)

 

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 するとかなり奥まったとこまで煉瓦塀が残っていました。

 

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 恐らくここまでであろうと言う場所は、

 更に二倍くらいの高さの煉瓦塀の名残。

 ---積み増したのかな?

 

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 よくよく見ると

 下段はイギリス積みだけれども、

 上段はフランドル積み!

 

 んん・・・よく分からなくなってきた^^;

 だって積み増したなら積み方の古いフランドル積みが上方にあるってとってもおかしい・・・

 

 じゃあ~後から趣味でフランドル積みで積み増したのかな?って思うんだけどー

 私の見立てじゃ上の部位の煉瓦の方が質感的に古そうなんだよなあー・・・(困惑)

 

 とは言え、こんな駅前に煉瓦物件があっただなんてと私ってば超絶興奮!

 しかも乗り過ごすと言うかー

 お腹が痛くならなかったら出会えてなかった偶然。

 

 うんこに感謝っすねw

 

 さて、煉瓦刻印を求めて煉瓦塀の果てまで来たものの、

 軒下煉瓦ちゃんにはそれらしいものは無かった。

 首が痛くなるくらいガン見で見上げて探してたのにいいー^^;

 

 でもね?

 上ばかり見上げていてはいけなかったようです。

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 よくよく見れば、この煉瓦塀周りの東側には小さな用水が流れていたのですが、

 その脇に並んでいたのもまた煉瓦ちゃんだったの(*´д`*)

 

 この煉瓦が目の前の煉瓦塀の煉瓦と別物と捉えるのは無理でしょ。

 恐らくこの煉瓦塀の余り煉瓦か、

 もしくはそれに近い年代の煉瓦ちゃんのはず。

 だって見た目にも古そうだったしね(これは経験則でしょうか)

 

 一個一個、その煉瓦たちを注視していくとーーー 

 

 

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 きた!

 

 これは『日本煉瓦製造㈱の明治期の刻印・上敷免製の刻印』(*´д`*)

 

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 他にも何個か同じものが☆

 

 オジ様が酒宴で言っていた。

『私の調べた感じだと新潟方面が上敷免煉瓦の北限かも』と。

 

 もしかしたらばオジ様はここも見たのかな?

(※まあ恐らく私の見立てじゃ燕市の香林堂を調べたのでは?と思うっすけれど。あそこもまた上敷免製煉瓦)

 

 さてじゃー、この煉瓦塀は一体何なのか?を調べましょうず^^

 

 それはズバリ『イカヤホテルの前身である旧いかや旅館の煉瓦塀の名残』なんだそう。

 明治5年創業。

 許可を得てないので創業時の写真は掲載できないけれど、その佇まいは当時としてはハイカラ奇抜!

 しかも駅前でとっても目立つ旅館さんでした(ネットで調べればいくつか画像が見れると思います^^)

 

 ・・・ん?

 明治5年創業?

 

 私がなぜ疑問に思っているかと言うとーーー

 渋沢栄一が政府からの要請を受けて民間として日本煉瓦製造㈱を創業したのは、

 確か明治21年だったような気がしたからっす。

 

 と言うことは創業時にはこの煉瓦塀は『無かった』

 もしくはあったとしても『地元の煉瓦を扱った』のでは???

 後から『何かしらの理由で上敷免製で積み上げた』のかもしんない。

 

 うーん・・・

 答えは結局分からなかったんだけれども、

 ヒント的なものはこの直江津の歴史を紐解くと少しだけ見えたような気がします。

 

 実はこの直江津と言うか上越なども含めて江戸期から幾度となく『何度も大火に見舞われる地域性』だったとのこと(何故や?本州がくの字になってる部分が丁度新潟付近。地形的なことや季節風などの影響もあったんでしょうね)

 

 それは明治も大正も昭和にもたびたび見舞われたそうっす。

 

 さてここで煉瓦塀を追いかけて最後にたどり着いた場所を思い出してみやしょうず。

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 区分けする煉瓦塀ならばこんな高さの煉瓦塀はそれほど必要ないはずっす。

 

 恐らく室町時代からある日本家屋を大火から守る為の防火壁『うだつ』と同等の理由で、

 後年に煉瓦壁を積み増したのではーーーなんか想像しちゃったりしてね、アハハw

 それがたまたま流通していた上敷免製だったのかも。

 

 ま、これはあくまでも一介の煉瓦好きガールの推察なんで気にしないでね☆

 

(※でも的はそんなに外していないと思うんすけどね。なんせ元々、直江津駅は信越本線の終点だった時期もあるし、今ではアプトのみちとなってるけれど信越本線新潟群馬越境付近には日本煉瓦製造㈱の上敷免製の煉瓦が使われてたし、直江津まで上敷免が来てたのは不思議じゃないはず^^

 

 ってな感じで、結構ガチで推察してみた私。

 だってもう会えないかもだけれども、酒宴で出会った日本煉瓦製造㈱のオジ様は、

『私にとって古煉瓦探求の礎の一人』ですから☆

 

 またどこかで会えたらいいな。

 そしたらたくさんたくさん煉瓦の報告したいんだ(*´д`*)

 

 ---さてさて

 実はもう一つ直江津にはこれと同様な煉瓦の物件があるみたいなんだけどお、

 次の電車を考えると時間が無いみたいだからまた今度ね☆

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 再び直江津駅まで戻ってきた私は駅直近の駅そば屋さんに目を奪われた(ズキューン)

 

 ・・・なんせ朝から飲んでしかいない(酒です)

 

 すると地物を謳ったうどんやそばがあるじゃないですか(*´д`*)

 お時間的にもサクサクいけるしと暖簾をくぐった私だすうー(*´д`*)

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 頼んじゃったのは『大めぎすうどーーん』

 

 私的には『めぎすってなんぞ???』って思ったけどお、

 ニギスのことなのね^^;

 とは言えメッチャ空腹にズドーンと美味しいパンチを喰らったよ☆

 美味しかったー(*´д`*)

 

 偶然に立ち降りた直江津だったけれど、

 色々と出会いがあって楽しかったっす^^

 

 さて次回は富山県へと突入。

 実はここもメインと思ってた所より不意打ち(偶然)が楽しかったのです。

 気になる方は是非見てねw

 


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琴音の煉瓦刻印発見録♪『全部見せます?愛知・佐久島煉瓦の祠編☆』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『当時は興味無かったけれど、そう言えば煉瓦の祠が一杯あったぞ^^』

 

 お兄ちゃんちに飯を作りに行った際にこう言われたのだ。

 思わず私は『それどこよ!?』と食いついた!

 

『愛知県の三河湾に浮かぶ佐久島ってところだぞ^^』

 

 ほほー、なるほど(興味上昇)

 

 お兄ちゃんに『あんがと!そして自分で飯つくれボケカス!』とお礼と侮蔑をお見舞いしつつも、

 私の中にふつふつと煉瓦魂が沸き起こった。

 

 っつーことで離島の煉瓦を探しにレッツゴー!

 と言うかまた愛知県なのねw

全部見せます?愛知・佐久島煉瓦の祠編.jpg

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 新幹線ひかりの先頭座席を早朝陣取り、

 

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 コンセントゲットしながら位置ゲーしながら愛知県へと向かいやした(*´д`*)充電ウマー

(最近始めた駅メモっす☆)

  

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 豊橋で降りて名電に乗り換えて新安城駅へ(また来ちゃったよw これで4月は2度目だね)

 

 そこから西尾線に乗り換えて西尾駅へ。

 更にそこからタクシーで15~6分でしょうか?

 一色港ってとこまでやってきやしたよ^^

(地図上では吉良吉田駅か福地駅の方が港に近いんだが・・・タクシーもバスも少ないので。経験から)

 

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 出航時間ギリだったからヤキモキしたけれど無事に往復の乗船券ゲット!

 いざ三河湾に浮かぶ有人島3島がひとつ『佐久島』へと向かったっス^^

 

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 ものの15分くらいで無事着岸。

 

 島のスペック的にはぐるっと回ってだいたい11キロくらい。

 島の形としては欠円状。

 西と東とで集落を形成してるって感じかな(中央部は学校や駐在所などの官とか公な施設がありんす^^)

 

 歴史的には古墳や貝塚などが発見されたり結構歴史の古い島だったりするのですがーーー

 特にそれをメインに押し出すわけでもなく、

 お手軽離島旅とか名物大あさり丼とか近代アートの島として観光客を呼び込んでいる感じっすね^^

 

 さて私は観光に来たわけじゃないっす。

 あくまで煉瓦ちゃん目的。

 さっさと行きやしょうず☆

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 まるで鬼の洗濯岩みたいな海岸線を歩いているとーーー

(ブラタモリで言うところの隆起して固い地層と柔らかい地層が波に洗われて出来た島なのかもね)

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 おひるねハウスなるものが浜辺にドーーん!

 

 カップル達がパシャパシャ写真撮ってましたっす(寝ようとしてる人はいなかった)

 そういうのに興味も無く先へと急ぐ私。

 

 なぜかと言うとこれから向かう煉瓦の祠と言うのは、

 風化や退廃したものを含めて80を超える数が佐久島に点在してるからなんすよね^^;

 

 んで、よい機会なんで、

 ここらで『この佐久島の煉瓦の祠とは何なん?』って説明しておきやしょう^^

 

 ズバリ言えば『四国八十八箇所霊場巡りを模したもの』でしょうか。

 

 大正初期には日本各地で同じような霊場巡りが作られたんす。

 お遍路が各地でも流行ったんすよ(元々昔からあったものに付随して88とかにしたとか、まあ~色々ね)

 

 その中のひとつにこの小さな離島『佐久島』もあったとです。

 大正5年が始まりとされる佐久島のお遍路。

 弘法大師の弘法巡りとして祠が作られました。

 

 そして流行り(時節柄)でしょうか?

 当時の愛知県が煉瓦などの窯業が栄えていたからでしょうか。

 そのほとんどが『煉瓦の祠』だったっつー訳なんすよねー(*´д`*)

 

 その幾つかは風化して退廃しているものの、佐久島弘法プロジェクトとして近年蘇ったものもあるそう。

 その中には『かつて使われていた煉瓦の再生利用』も存在するの。

 

 つまりはですよ?

『現存・新築問わず、煉瓦の祠には昔の煉瓦が使われている可能性大いにあり!』ってことなのよねー(*´д`*)

 

 ならばいざ行かん!って感じでしょ?マジでさw

 

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 さてとこの島には主に『三箇所に煉瓦の祠が偏ってます』

 

 西集落の裏手にある『大山にある白山社周辺』

 東集落の裏手にある『秋葉山にある秋葉神社周辺』

 そして

 東集落の岬側にある『富士山の浅間神社周辺』っす。

 

 では手始めに西集落を通って大山へと登りましょうず^^

 

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 およ?

 集落の黒板塀に混じって煉瓦ちゃん発見(*´д`*)

 

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 門の敷石も煉瓦ちゃんじゃないかーい(*´д`*)

 

 とは言え民地なのでサラッと見ただけで次へ

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 すると早速、集落内に煉瓦の祠八犬伝っす!

 第84番札所。

 残念ながら刻印らしきものは無し。

 

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 さてと集落を抜けて大山へと向かいやしょうず^^

 

 すると早速ーーー

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 第56番所の祠登場☆

 

 これは恐らく再生された祠。

 でもーーー

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 土台部はかつての煉瓦みたいね^^

 ・・・刻印無いので次いきますかw

 

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 第57番所

 無し^^;

 

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 58・59・60と見たけれど刻印無しw

 結構古そうな煉瓦なんだけどなー

 

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 61も無し。

 

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 62番に至っては、祠までの敷石まで煉瓦と言う立派なもの。

 でも無いなあ~^^;

 

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 63・64・65・66・・・

 コンクリの祠も登場。

 刻印無し。

 と言うか罰当たりなので一応一個一個拝んで見させてもらってるっす。

 

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 67もまた敷石やそこまでの脇まで煉瓦ちゃんだけれどここも刻印は無し^^;

 

 さて次からは70番台に

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 77・78・75・74・73・72と幾らか抜けてる番数はあるのですが、

 ここもまた刻印は無かったっす^^;

 

 えっと・・・

 こんなにも煉瓦の祠があると言うのにどういうことなの?

 やっぱ神聖だからなのかな。

 煉瓦教会建築の時も思ったけれど、

 中々刻印が表にくる、もしくは目立つような積み方はしないみたいね^^;

 

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 さてさて次は東の集落へと行きましょうず。

 地図にもある通り秋葉神社付近に主に祠が集中してそうっす^^

 

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 第80番・・・

 完全に近代再生化されたうちのひとつですねw

 

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 75・74無し!

 

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 76に至ってはイマドキ煉瓦ちゃんだよねこれ^^;

 

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 77番。

 見た目も古そうな煉瓦ちゃん☆

 

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 試しに煉瓦の敷石の一つを罰当たりですが少し裏返して見てしまいました。

 

 するとーーー

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 うぎゃああああああああああああ!!!

 やっぱり罰が当たったあああ^^;

 思わずムカデのお出ましに尻もちついた私・・・

 

 もう二度としないので許してください・・・(原状復帰)

 

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 73・72・71番札所。

 秋葉神社方面の祠は結構古そうだけれども刻印なし。

 勿論見える範囲でのことだけど。

 

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 78・70・69・68。

 ここも無い・・・

 と言うか?

 この88遍路って順番はどうなってるの???

 道なりに歩いてるのだけれども所々、順不同な気がするし^^;

 もしかしたら道の脇には無いものや退廃したものとかには番号ふってないのかしら?

 

 そんなこんなで歩いて行くと

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 森の中にひっそりと佇む建物に出くわしました。

 でも立ち入り禁止のトラロープ張ってあるけど何なのかな???

 

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 あっ・・・

 これは失礼いたしました^^;

 そそくさと別の道を辿ることにしたお・・・

 

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 50・51・52・53・54とコンクリの祠が登場。

 でも綻びた部分からは煉瓦が覗いていたの。

 中身は煉瓦ちゃんだったのね^^;

 

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 ここからは23・・・ん?

 いや、

 札は49番って示してるよね???

 

 もしかしたらばこの島にお遍路が始まった当初と今現在とでは札番所の割り振りが違っていたのかも。

 

 

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 48・47・46・45。

 再生されたものがほとんど。

 と言うか別物になっちゃってる奴もあるような・・・^^;

 

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 さて地図上にも書いてある上水タンクまでやってきました。

 この先がいよいよ東の秋葉神社付近なはず(今までのは西から東への移動途中で見た祠だったりするっす)

 

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 秋葉神社到着!

 

 神社だから玉垣って言ったらいいのかな?

 本社の周りを囲う石積みが趣満載!

 

 だけれども・・・

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 この神社の周囲には番数もふられてない退廃した祠跡が数多くありました・・・

 東と西、どちらからも一番遠い神社だからなのかな?

 

 とは言え祠に本来あるはずの弘法大師像はいないので新しい場所へとお引越ししたのかもね^^

 

 さてここからは東の集落への下り坂の脇に祠が集中しています。

 見れる範囲で見て行きやしょうず(*´д`*)

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 43・42---

 

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 ん?

 道のど真ん中にも祠が^^;

 

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 それはと言うと第40番所。

 今どき煉瓦ちゃんです^^;

 

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 さてここまで80番台70・60・50・40って見てきたわけだけれど、

 どうやらそれより若い番数は東の集落の岬側にある富士山の周囲に祠があるみたいなので、

 一旦集落へと降りて再び山を目指しましょう(山っつったって標高40~35メートルくらいっすw)

 

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 荒々しいけれど素敵な集落の石垣を横目に見つつも富士山を目指すよ!

 

 するとーーー

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 さっそく6~31番札所はコチラの案内板が^^

 

 そしてとうとう出会いに達する。

 その出会いとは勿論、ここへ来た目的『佐久島の煉瓦の祠に刻印はあるのか?』でありやす^^

 

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 残念ながらその出会いは札番所も掲げられていない名も無き煉瓦の祠跡でした。

 

 道から少し外れた草むらの向こうにそれはありました。

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『五五の刻印』

 

 どこの煉瓦工場なのかも分からない漢数字の55

 

 本来なら探しても探しても見つからなかった刻印をようやく見つけて勝利のガッツポーズしてる私のはずだったんだけれども、

 なぜかとっても寂しい感じの刻印発見だった気がします^^;

 

 とは言え『煉瓦刻印は存在した』と確認できたので御の字。

 残り幾つかの祠も見ていきやしょうず^^

 

 ここからは写真の羅列(ダイジェスト)

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 結局、30~8番まで新旧の祠を見て回ったのだけど、

 刻印が確認できたのは、あの五五の刻印ただ一つ。

 トータルで見てもあれ一個。

 見つけられてちょっとホッとしたのが正直なとこっす^^;

 

 さて、自分なりに見解。

 煉瓦面に対して比較的大きな漢数字の刻印と言えばーーー愛知県では岡田煉瓦さんが関わった煉瓦遺構で多く見かけるものっす。

 半田の赤レンガの敷煉瓦。安城のアンフォーレの敷煉瓦。トヨタ産業技術館の擁壁など。

 

 だから最初は岡田煉瓦さんの製品が佐久島の煉瓦の祠にも絡んでるのかな~と思ったけれど、

 

 フォント(書体)が別物なんだよね☆

 

 結局、私にはさっぱり。

 家に帰ってお兄ちゃんに出どころを探ってもらったけれど、素人の頑張り程度じゃ何も分かりませんでしたよ^^;

 

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 そう言えば残りの1~5の祠ってどこにあるんだろ?って不思議に思ったんだけど(未探索)

 船の時間も迫ってたので、

 

 名物『大あさり丼』だけ胃袋に掻きこんで帰ったっすw

 

 大きな特産アサリをカツ煮風に仕立てた丼ものなんすけどおーーー

 行ってみて!

 食べてみそ!

 これがまた美味しいんだから(*´д`*)

 

 次回は今度こそ北陸の煉瓦ちゃん!

 

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琴音の煉瓦刻印発見録♪『三州瓦・鬼のみち~カメレン(亀崎煉瓦)』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『瓦と煉瓦は義兄弟!』

 

 西洋文化『煉瓦』が江戸後期に伝来、

 そこからしばらくは輸入煉瓦に頼ってきた日本の職人さんはこう思ったの。

『俺らにも造れるんじゃね?マジで』

『材料も焼きも同じだしさー』

 

 っつーことで、

 近代化需要で煉瓦が多く必要とされた明治初頭、

 瓦職人から煉瓦職人へとトラバーユする人が数多くあったそうっす^^

 

 さて今回は愛知西三河地方の煉瓦編の序破急の急。最後っす。

 

 瓦の生産で有名だった場所を駆け抜けましたよ^^

琴音の煉瓦刻印発見録♪・カメレンほか.jpg 

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 さてっと、やって来たのは高浜港駅っす。

 

高浜~亀崎までの地図.jpg

 地図で見るとこんな感じ。

 

 長谷煉瓦を見物した私は、そこからご近所駅の北新川駅(名鉄三河線)から一個だけ電車ワープしたっす^^

 

 今日最後に目指すのは境川・・・じゃ無くって川のように伸びる衣浦湾を越えて亀崎駅付近へっす^^

 

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 駅を降りたって最初に気づいたのは、

 

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 どうやらこの付近は瓦の名産地の模様。

 

 ・・・ごめんなさい!

 

 私ってば全然リサーチしてなかったよココw

 正直、亀崎までの通り道程度にしか旅立つ前には思ってなかったの^^;

 

 一富士二鷹三茄子ならぬ三州瓦。

 

 今では東三河(豊田とか岡崎かな)が瓦の名産と言われているけれど、

 この西三河の三州瓦は奈良時代からと言う屈指の歴史を誇る日本三大瓦の一つなんだって^^

 

 ではせっかくなんでブラブラ見物しながら先へといきやしょうず(*´д`*)

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 おおぉー!

 まるで常滑の土管坂を思わせるような素敵なストリートじゃない(*´д`*)

 

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 名前も付いてるみたい。

『鬼のみち』とのこと。

 

 鬼瓦って魔除けの意味合いもあるけれど、その造形はとっても素晴らしいよね^^

 鬼瓦職人って分けられてるくらいそれは特殊なもの。

 瓦職人の中でも上級なんだろうなあ。

 

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 さて坂を下って行くと土管坂ならぬ『土管の坂』の銘が(のぼらないでね☆)

 

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 そこには煉瓦ちゃんもあるじゃなーい(*´д`*)

 

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 思わず見れる範囲で登ってみたよ(おいこら!)

 んでもって刻印とか無いかな~と探しちゃったw

 

 まあ~無かったんだけど、

 普通に考えてこの煉瓦はイマドキ煉瓦ちゃんだと思うし、別にいっかな^^

 

 ちょっと余談なんだけど、

 常滑と言えばの土管坂が先ほど一部崩落して復旧作業中と言うニュースがありました(4月18日頃)

 原因は分からず・・・

 観光名所だけに人も多く訪れる場所でもあります。

 けが人がいなかったことを喜びつつ、

 原因追及や普段のメンテナンスなどもお願いしたいところっすね^^

 

 ---鬼のみちもだいぶ下った頃ーーー

 

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 道から上の土手沿いに煉瓦が見えたんす。

 私は思わず駆け寄った。

 住んでるのか怪しい・・・トタン葺きの家屋の横にそれはありやした。

 

 ・・・なんだろ?

 横っちょの薪小屋を見るからに何かの作業小屋だった?

 でも正四辺の小さな煉瓦構造物じゃ~焼却炉程度しか思い浮かばないっすね^^;

 

 今では使われていなそうな煉瓦ちゃん。

 せっかくなので観察開始。

 

 するとーーー

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『十の刻印』が。

 

 でも『ハネ』の部位が書道的に逆。

 もしかしたら逆向きに私が見ているのかな?

 もしくは『千の刻印』とか???

 

 何にしてもこの旅路で久しぶりの刻印らしい刻印発見にウキウキ(*´д`*)

 

 ちなみに~

 ここ高浜市付近の古地図を覗いてみるとーーー

大正期の高浜市付近.jpg

 あらやだ、煉瓦工場(もしくは窯業)の記号ありすぎw(これは大正9年頃の高浜市地図)

 そのどれかかもしれないし、

 別の地域の煉瓦工場から持ってきて積まれた煉瓦構造物かもだし、答えは分からないかなあ^^

 

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 さてと急ぎましょうず(日もだいぶ傾いてきた)

 

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 まるで大河のように見えるけれど、これは衣浦湾っす。

 本当はもっともっと幅広だったんだって!

 

 実はこの沿岸を埋め立て地にすることで愛知県の数多くの近代工業が栄えたんだってさ。

 舟運も盛んで、ここから全国どころか世界へ!

 勿論その中には窯業もっす^^

 

 さてさて衣浦湾を渡り切ったらーーー

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 お!

 なんか素敵な塀が見えてきたと思いません?^^

 

 さっそくウキウキで近づくわたし☆

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 おお~!

 

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 おお~!!

 何だかとっても荒々しい煉瓦の積み方の煉瓦塀ちゃんが(*´д`*)

 小口面を微妙にずらして突き出てるように積んでる不思議な造形!

 下駄っ歯積みとまではいかないけれど、面白い積み方だよね^^

 

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 その煉瓦塀を追って歩いて行くと・・・

 真新しい煉瓦ちゃんや古い感じの煉瓦ちゃんが見えてきたっす。

 

 私は更に更に先へと歩く。

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 特殊煉瓦?

 第二工場???

 

 どうやらこの煉瓦塀達に囲まれた場所は煉瓦の工場みたいね(すっとぼけ)

 

 その煉瓦工場の名前はーーー 

 ---

 ---

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『株式会社カメレン』っす^^

 

 簡単に沿革を言いますと、

 創業は1919年(大正8年)

 そしてあとちょっとで100年稼働と言う日本屈指の最古参煉瓦工場のひとつでもあるんす^^

 

 創業時の名前は亀崎煉瓦工場。

 カメレンさんのブログによれば

『かつては六角形に亀崎のK』が打たれた煉瓦刻印を使われていたとのことっす。

 

 だから私はぶっちゃけ、その六角形の刻印が残ってるんじゃないかなあ~?って思ってここまでやって来た次第なんすよね~w

 

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 裏手側になるのかな?

 そこから覗き込めば現役製品が山積み。

 

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 その向こうには煉瓦煙突も見えたっす^^

(3本の大型窯が現役であるそうっす。そのうちのひとつの廃煙塔かな)

 

 んでもって~

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 更に先へと進むと工場敷地内に内腔されるように個人のお屋敷があったとです。

 

 社長さんのご自宅かしら?

 

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 こっちも先ほどの粗積みな煉瓦塀ちゃんが!

 

 古い煉瓦ちゃんだろ絶対!ってことで刻印探しするものの、

 結局は何も見つけられなかったって感じっすw

 

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 さてっと、刻印探しは諦めて、

 せっかくなのでもう少しカメレンさんを見てみることにしたお(*´д`*)

 こちらが多分本来の表側になるのでしょうか。

 

 さっき居た場所からは随分と登って来た。

 山を背に、坂に連なるように工場が居並んでたっす^^

 

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 あれ?

 愛知セラミック・・・

 カメレンさんじゃないのかここはと思いきや

 

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 敷地内に見えたタンクには『カメレン』の文字が。

 

 そしてこの坂を挟んで対面にはーーー

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 こちらもビックリ、耐火煉瓦の老舗さんであられる

『美濃窯業株式会社(亀崎工場)がデーンと工場を構えてたんすよマジで(*´д`*)よくみかけるー

 

 亀崎工場自体は昭和初期創設だけれども、

 美濃さんの創業は大正7年。

 耐火煉瓦工場としてはココも現役であり古参のひとつですね。

 

 さて、

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 カメレンさんの工場は腰回りに煉瓦が使われていたので一応刻印探しも^^

 

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 無いねw

 残念至極w

 

 じゃあ~流石に東京へと帰るリミットなので駅へ向かいやしょうず。

 

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 ちなみに美濃窯業さんの方にも、木々の間から古めかしい赤煉瓦煙突が存在しているのが確認できたよ^^

 今も現役なのかな?

 

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 左右に煉瓦工場を有する坂をヒイヒイ・・・言いながら登って行けば、

 ネットフェンスにココは『レンガ坂』って掲げられていたっす(そこまでの坂じゃないけれど、ここまでなんだかんだ20キロ近く歩いてるので・・・)

 

 今まで煉瓦通りとか煉瓦道とか謳われている場所をいくつも通って来た私っすが、

 ここは納得レンガ坂だと思った(他が名前ばかりだったのもありんすw)

 

 さていかがだったでしょうか?

 煉瓦刻印探すなら古参の煉瓦工場巡りも一手って考えはw

 

 本当はアポとって煉瓦工場見学っつーのがめっちゃベストなんですが、

 まあ~私は、ゆるふわ煉瓦マニアだからねw

 

 さて次回は・・・ナイショw

(※今回からniceもコメント欄も閉じさせていただきます。返礼の訪問も出来ない現状。

 一方的にnice頂く訳にはまいりませぬのでね^^;

 メインブログの処遇も今現在検討中。

 

 なんせ・・・

 去年より忙しい職場なのに二人も欠員してる現状なんで・・・)



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琴音の煉瓦刻印発見録♪『岡田煉瓦~長谷煉瓦☆』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『明治から続く煉瓦工場なら古い煉瓦もあるっしょ?』

 

 う~ん・・・実に安易な発想で行ってきちゃいました

 見に行って来ちゃいましたw

 

 ではではそんな現役煉瓦工場巡りの旅、はじまるっす~~(/・ω・)/

琴音の煉瓦刻印発見録♪岡田煉瓦~長谷煉瓦.jpg 

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 さてやって来たのは名鉄西尾線の米津駅

 

 なんでココかってーとー・・・

米津~亀崎.jpg

 ココからココまでの距離を歩くからだよw

 

 折り畳みチャリでもあればもっといいんだけどお、仕方ないね!(貧乏女子ですから)

 

 さて何故ここを起点に選んだかと言うと簡単に説明しますね^^

 

 この付近は大まかに言えば『西三河』っちゅー地方っす。

 愛知県は尾張地方も東三河地方もどこをとっても『陶器』などの窯業が昔から盛んな地域っす。

 

 でも特にこの西三河の一帯こそが、

 明治から数多くの煉瓦工場を生み出し、そして消えて行った 『日本の煉瓦工場のメッカ』っつー訳なんよ(*´д`*)

 碧南・高浜、西尾に安城。

 ここを横断すれば煉瓦工場にぶつかるのだ!

 

 その中でも今日は3つの煉瓦工場を巡りたいと思いやす。

 

 そのどれもが明治大正創業であり、かつ現役。

 もしかしたらば自前の古い煉瓦を今でも残してるんじゃないかと思ったのでピックアップしてみやした☆

 

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 ん?おや?駅前の商店脇に怪しい煉瓦発見☆

 何だろね?コレ(一応刻印は探す)

 

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 その後はひたすら歩きますw

 ぶっちゃけなんもねーw

 広がるのは地平線ですよ地平線w

 

 でもね?

 美味しそうに実った野菜たちが延々と向こうのほうまで広がってる訳ですよ。

 多分、土地が豊かなんだと思うんだ。

 肥沃な大地なんだろうねここらへん^^

 

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 さて1時間以上は歩いたでしょうか?

 煉瓦マニアならば『おや?』って思う看板が目に入ったとです!

 

 そう、今回一発目の目標は『岡田煉瓦製造所㈱』

 創業は明治30年。

 明治から稼働して今なお現役の煉瓦工場さんです^^ 

 恐らく現役としては最古参の煉瓦工場のひとつだと思うっす。

 半田赤レンガにノリタケの森、

 愛岐隧道群や浦賀ドッグなどの歴史的遺産にも数多く関わったとこっす♪

 

 は~ん。そんなマニア垂涎の煉瓦工場が見れちゃうのか~(*´д`*)

 

 っつーことで、

『ここ入る→』って目印を目標にレッツ岡田煉瓦☆

 

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 は~ん(*´д`*)

 いかにも煉瓦工場っぽい煙突が見えてきたー(とろけそう

 

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 近づいて見れば工場の周りには岡田さんのイマドキ煉瓦ちゃんが所狭しと山積み☆

 

 ーーーさてっと、

 私道を行き交うフォークリフトの邪魔はせぬように、ささやかに脇から工場近辺を見まわしますよ(今回はアポもなにもとってない。市の小学生とかには工場見学なんかもあるらしいと聞いたけど)

 

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 建屋を取り囲む用水路には煉瓦の擁壁。

 余裕があれば『昔からある煉瓦ですか?』ってお声がけさせていただこうかと思ったけど自重。

 こっそり刻印の有無をうかがったけどお、特にそれらしいものは無かったかな^^

 

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 ん?

 なんか煉瓦造りの(土台部位が)祠がありゅう(*´Д`)

 どちらかというと煉瓦の手洗いシンクの方も気になったけれどパス。

 

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 安全祈願の祠なんでしょうね^^

 煉瓦自体は古くも無い感じ。

 

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 工場自体は波型のトタンの外壁かな?

 よくある工場の外観。

 

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 煙突は煉瓦色だけどどうなんだろうか?

 あんまり昔の物は(特に煉瓦)残ってないのかな?

 

 それでも工場周りをグルっとしてみればーーー

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 取り囲む用水路の擁壁は色々なバリエーションを見せてくれたよ^^

 新旧色々と岡田さんの煉瓦が使われてるみたいね。

 刻印探ししちゃろうかと思ったけど今回はやめておきました。

 だっていつかじっくり工場見学させてもらおうかなーって思ってるので☆

 

ダウンロード.jpg

 これは半田赤れんがにあった岡田さんのかつての工場風景(カラー化してみた)

 日本屈指の現役最古参煉瓦工場にやっと出会えてちょっぴりハッピー♪

 

 私は意気揚々と次の煉瓦工場を目指すことにした。

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 そこから歩くこと1時間でしょうか?

 大きな河川にぶち当たった。

 この時点では『川』って思い込んでいたけれど実は『油ヶ淵』って言う湖沼だったみたい^^;

 何でも徳川家康の時代に開削で出来た沼とのこと。

 それは歴史の変遷を経て海へとも繋がったそうです。

 かつて明治期の煉瓦製品の運搬は舟運が主流でした。

 もしかしたらばここを通って岡田さんやその他の西三河の工場製品は東京などにも流通したのかもしれませんね^^

 

 さてここまで歩きどおし・・・

 お腹もペコペコ。

 水分すら補給してなかった私^^;

 だけんどもさー

 コンビニとかも飲食店も全然ないのよw

 ようやく幹線道路付近で見つけたコンビニに飛び込んだ私は

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 清涼飲料水を購入してグビグビ。

 んはー!

 五臓六腑にしみわたりゅうううううw(*´д`*)

 

 さてさて第二の目的地が近づいて来ました(つっても岡田さんとこから結構歩いた)

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 うごおおお!

 何か古めかしい煙突が川向うにみえりゅ(*´д`*)

 

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 うぐう・・・

 でもあの水門って人は通れるのかな???

 ココを通れれば真っすぐ目的地。

 でもでも渡れないとなると結構な遠回りを強いられそう・・・^^;

 

 道があったらいいな。

 無かったらめんどくさーって川べりで右往左往してたら

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 すぐそばの空き地に煉瓦の残骸が!

 もしかしたらばかつて何か建物が建ってたんじゃないかなココ。

 

 いやそんなことより向こう岸へだっ!

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 心配は余計なことだったみたい。

 きっちり人道も整備されていました(しかも目標に直結!)

 

 渡り切った自分を最初に迎えてくれたのはーーー

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 これは絶対古いっしょ!って思われる煉瓦の煙突でしたっす(*´д`*)

 帯鉄補強はされど、見るからに昔の煉瓦。

 今も使われてるのかな?

 

 せっかくなんで工場周りをグルっとしてみやしょうず(*´д`*)

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 工場の土台部位は石積みではあるんだけれど、

 所々に煉瓦が組み込まれていました。

 

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 刻印無いのかな?と背伸びして覗き込めばシワシワの古き機械成型の煉瓦面☆

 

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 かと思えば、イマドキっぽい建築用煉瓦の刻印と言うかロッドが刻まれた煉瓦なんかも。

 

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 古い名残もたくさん☆

 

 煉瓦工場のご近所(っつーか目の前の別の工場)の垣根にはーーー

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 耐火煉瓦や焼きムラが出て廃用となった煉瓦なんかも散見。

 もしかしたらこの工場のおすそ分け?

 

 さてこの煉瓦工場とはコチラ↓

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『長谷煉瓦㈱』

 

 創業はいつからなのかな?って調べたんだけど、会社概要には特に年代が載ってなかったの^^;

 長谷さんの製品通販部門の記載には『100年を超える煉瓦つくりーーー』って記述されてるから明治後期から大正4~5年かな?

(※愛知県下の煉瓦工場の消長って資料には昭和36年に同名でほぼ住所も同じ長谷煉瓦が出てるんだが・・・)

 

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 まあ~何にしても、歴史のある煉瓦工場の周りには『自社製の古い煉瓦の痕跡の可能性はアル』って見えてきた感じ。

 これなら煉瓦工場跡や現存煉瓦建築以外でも刻印の出どころを探る『ひとつの』ヒントに成り得ることが見えてきたような気がするっす^^

 ま、わたしってばただの古煉瓦好きの女子なだけなんだけどねw

 

 さて次回は最後の目的地へ!

 そこには『レンガ坂』なるものが存在します。

 数々、日本にあるレンガ坂とか煉瓦通りって地名を渡り歩いて、そのたびにガッカリしてきた私だったけどーーー

 はあー納得!って場所でしたっす^^

 

 ではではまた今度っす(*´д`*)

 

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