琴音の煉瓦刻印発見録♪『紅葉坂の紅葉刻印』小さい秋み~つけた☆(ただし煉瓦刻印とは言ってない) [琴音の煉瓦刻印『未発見』録☆]
『工事現場の掘り起こし現場で煉瓦の瓦礫や路盤を偶然見かける』
なあ~んてことがたまに、極たまにあるのです。
東京なんて、今ある街の下は瓦礫の埋め立てで出来ているところが結構多いですしね^^
その所為はほとんど関東大震災の負の産物なのかもですが・・・。
ーーーさて、
偶然にも工事現場で『おや?』と発見することもある。
手元には何故かデジカメが。
かといって・・・おいそれと撮影は出来ないことも多いのですよ。
なんせ遺跡やら何やらが出てきてそれを公にされると工事の工期が遅れかねませんしねw
撮影を渋る業者さんは多い・・・。
そんな折、私ってばどうしても気になってたトコに再訪してみたのです。
それはやはり工事現場だったのだがーーー
私が再訪したのは谷中霊園の天王寺の傍にあった、歴史的な長屋の取り壊し現場。
上記の写真のように、ここを偶然訪れた時は煉瓦の瓦礫がゴロゴロしていたんす。
それが今どうなってるのか気になっていた。
この界隈は関東大震災の瓦礫を埋め立てて出来た土地も多かった。
ここからそう遠くない入谷・下谷付近も池や沼地を瓦礫で埋め立てて出来た場所も多い。
特に浅草にあった煉瓦の塔『凌雲閣』なんて正にそこらへんに埋め立てられたそうっす。
そこで考えたのよ私。
『このご近所でコレだけの煉瓦瓦礫を量産できるかつての建物と言ったら凌雲閣じゃないか』と。
その一部もココに眠っていたのでは?と^^
あの時見かけた煉瓦瓦礫は尋常な量じゃなかったと思うのです。
かといって平日に訪れると工事してるだろうから、工事もお休みだろう祝日の早朝に出かけてみたのであるw
私ッテ頭いい(*´д`*)
山手線のJR鶯谷をあえて下車。
本来なら谷中霊園には日暮里駅の方が断然近いのだけど、ブラブラ歩ってみたくなったのです。
ラブホテル街を抜けると、
由緒ある和菓子屋さんとこの土地の由来が掲載されていましたが割愛w
私の目的はこの先だもの^^
『芋坂』
今は東北線・山手線によってごっそり削られて見る影も無いけれど、明治初頭まではここからずっと丘であり坂道だった。
緩い芋坂の名残りを辿っていくとーーー
日暮里駅の駅のホームの端っこが。
そして線路の向こう側は高台になっていた。
ふと横を見れば
向うへと続く芋坂跨線橋が^^
目的地はこの跨線橋を渡ったすぐそこ。
さっそく昇ってみる。
錆びた鉄柵連なる色気も何も無い橋だけれど、これはこれで味わいが^^
渡りきったところの住宅の下には幾何学的に埋もれた煉瓦の土台がお目見え。
そしていよいよ工事現場の再訪っす^^
・・・あれ? めっちゃコンクリの土台できてるやん!
しかも祝日朝っぱらから数人のオジサマ達が働いていたっす。
工事現場の上手に回って、かつて煉瓦瓦礫がごっそりあったとこを覗いてみると(工事用の塀に囲まれていたけれど一部はアクリル壁で中が見える)
もう煉瓦の瓦礫なんてどこにも無かったっす^^;
残念ながら闇の中か・・・
(※ 上野の歴史に詳しい方に調べていただいたところ、明治・大正には煉瓦の建物がここに存在していなかったとのこと。
と言う事は、やはりここへ移入した瓦礫の埋立地だったと考えるのが筋のようですね)
まあしょうがないと帰る事に。
帰りは霊園を抜けて日暮里駅から帰ろうと、紅葉坂を下っていく私。
あ、そうそう。
この坂には隠れキャラがあるんですよ^^
それはね?
よーく見れば何個か紅葉の刻印が階段のコンクリにあるんですよ^^
誰も気づかないと思うけれどね☆
私はその小さい秋に少し心を救われた。
でもやっぱり煉瓦探求の後は
お酒ですね(*´д`*)
はたはたの唐揚げに~♪
牡蠣のバター醤油炙り!
くうう~!仕事の後の飯(酒)はうまかです(*´д`*)
いよいよ寒気も入り込んで本格的な寒さを感じる昨今。
風邪などに気をつけて年末を乗り切りましょうね^^
・・・とは言えそろそろ刻印見つけないとなあ~w
琴音の煉瓦刻印『未発見』録☆『中野坂上・やままさ醤油醸造所レンガ塀』 [琴音の煉瓦刻印『未発見』録☆]
『ドローン欲しいなあ・・・』って最近思うのですよ。
---っつーか欲しい!
だって煉瓦刻印探しに絶対使えるよ?w
煉瓦構造物の軒下を望遠で撮るだけじゃ限界ありますよ^^;
『上から見れれば煉瓦刻印発見の可能性あるよな・・・ここ^^;』な~んて思った場所たくさんあるしね^^;
ちなみに試しに『ドローン 最安値』で検索してみたところ、
カメラ内蔵で3500円~からあるのね^^;
買ってしまおうか・・・
でもラジコンすらまともに操れなかった私に使いこなせるだろうか^^;
---さて、今回は『未発見』ってやつです。
煉瓦構造物に刻印を求めて探しに行ったけれどもダメだったってお話ですw
だからと言って画像を消去するには忍びないので、せめてもの記録を。
ではではスタートっす^^
今回は中野坂上に行ってきたっすよ^^
なんでも明治期のお醤油醸造所のレンガ塀が残ってるらしい。
場所的にはココらへん↓
まあ・・・これじゃわっかんないよねw
地元の人でもワカラナイ説明ですんませんw
でも見た感じ、おもいっきしお墓の近くぽい?
中野坂上駅から歩く事10分くらい。
宝仙寺と言うお寺さんの参道から左手の小道に逸れるとーーー
実に細々と煉瓦ちゃんが佇んでいました^^;
そこは公園の片隅。
いや・・・マンション裏の駐車場の片隅でしょうかねえ^^;
とってもペラペラな煉瓦壁が。
『やままさ醤油醸造所レンガ塀』
屋号は変換出来ないので、ひらがなではありますがw
この壁と言うか塀は
明治32年頃に建てられたのではないかと言われている醤油醸造所の煉瓦塀の北側の一部を移築したもの。
モニュメント的なものですね^^
中野の街では当時とってもモダンな洋風建築だったみたいね^^
---ここで私はこの煉瓦がどこで造られたのかが気になってしまう。
明治期も後期に差し掛かった頃でしょ?
しかも場所的に都内以西(いや、新宿のちょっと横だし西でもないけれどw)
東京の西側にあった煉瓦工場は・・・日野とか大阪窯業八王子工場とか。
でも普通に考えればこの時期は日本煉瓦㈱が主流だったのかなあ。
刻印でも見つかれば分かりやすいと、さっそく刻印探しに明け暮れることになるのダス(*´д`*)
ちりめんじわの煉瓦ちゃん。古いのは間違いがない感じ。
裏を見ると鉄骨で支えられてます^^
えっと・・・煉瓦塀って書いてあったよね?説明パネルには。
塀に小窓???
塀と言うより建物の壁だったんじゃないのかな???
積み方は非常に珍しいフランス積み(*´д`*)
通用口っぽいのあるんだけど・・・塀・・・なの?
まあ通用口は塀にもあるかw
さて、ここは非常に刻印が見つけられそうな部位は少ない^^;
屋根部分は煉瓦の平面がバリバリ露出してるから、見れれば煉瓦刻印が見つけられそうだけど。
公園のブランコの柵に立って望遠で撮影してみる私。
正直はずかしいw
こういう時ドローンがあればなあ・・・と思う^^;
天辺部位を探すのには限界があったので再び軒下部位を
くふ・・・またもや紛らわしい一文字の傷^^;
こっちも^^;
いつも思うけど成形時の傷なのか何なのかほんと悩ませるっすね^^;
結局それらしいものは見つからなかったっす。
まあ不発もあるよね^^
帰りは、JR中野駅近くに『レンガ坂』と言う名前の通りがあると聞いたのでそこへと行ってみたっす。
もしかしたら何かあるかも?
えっと・・・イマドキ煉瓦と言うか・・・煉瓦調のインターロッキングブロック・・・なんじゃないかなあ・・・^^;
名前とは裏腹にガッカリw
でも煉瓦探索の後のビールはうんまい(*´д`*)
ドローン・・・買っちゃおっかね?アハハ☆