琴音の煉瓦刻印発見録♪『長野県長野市の煉瓦刻印たち☆前編』長野監獄跡・製糸場跡ほか [琴音の煉瓦刻印発見録♪]
『遠くに行けば行くほど良い位置ゲー』
っつーことである日、
レキシトコネクトと言うゲームの育成の為に私はふらりと長野県へとやってきた。
・・・正直、
ふらりって距離じゃねーし!w
二県飛び越える日帰りは煉瓦遺構探索ではままあるのだけれどおー
たかがスマフォアプリゲーの為にここまで来ちゃったのは自分の人生的にどうなのか?ってとこでやんす^^;
さて、
もちろん当然『ふつーに長野に行こうだなんておもって無い』
っつーことで、長野県。
特に長野市の煉瓦ちゃんを巡るって意味付けして行ってきたよ^^
案外魅力的だったので写真も多い。
前半後半に分けて書き綴りたいと思いやす☆
新幹線で長野駅下車。
ここに来る前にある程度は煉瓦遺構をピックアップしていたのだけれど、
その道すがらにも結構思いもよらない出会いがあったよ(*´д`*)
やって来たのは県庁へと向かう途中。
なんか前情報以外の素敵な煉瓦塀発見☆
右も左も煉瓦!煉瓦な小道。
左手の民地の壁はフランドル積みの煉瓦塀じゃんかお(*´д`*)
片や右手側は古めかしい佇まいの家屋と煉瓦支柱の門構え☆
よく門表を見やれば『天理教・・・』
えっと・・・何て読むんだろ???
調べた感じだと『天理教スイエンカリワケ教会』・・・みたい(自信なし)
だけれどもこの建物の詳細はよく分からず・・・^^;
分かることと言えば、天理教がこの長野の地へと広まり始めたのが明治26年~30・・・ってことくらいかなあ。
少なくとも明治中期ごろの建物なんじゃないかと推測するっす^^
まあ~とりあえず煉瓦ちゃんをチェックしてみやしょうず^^
刻印はざっと見た感じ見つからなかったけれど、古煉瓦なのは間違いないっす。
対面の煉瓦塀とも質感が類似。
元々、同じ物件所有者だったとかかな?
そんなこんなで建物伝いに辿って行けばーーー
ぐっは!(◎_◎;)
煉瓦の建物が二棟隣接してるじゃないのさ!
でもこっちは建築用にしては立派な特級・特1の焼しめた煉瓦ちゃんが使われていたよ!
積み方は明治中期~大正期主流のイギリス積み。
後年に建てられた蔵とかなのかなあ???
せっかくなので望遠で軒下を覗いてみる。
ざっと見た感じ刻印は無いっぽい(本当にざっとしか見てない。民地の駐車場から覗き込んだだけなので)
さ~てもう一方の建物も見てみる。
こっちは先ほどの建物と違い、
躯体全般は普通煉瓦だけれど、角柱部位や軒下周りが焼しめ煉瓦ちゃんと言うお洒落デザインでしたっす^^
こっちもザっと見たけど刻印ポイのは見つからず。
回り込んで全体を見るとやっぱりお洒落建物じゃなーい(*´д`*)
まあ、こっちが母屋なんでしょうけど、
素敵な煉瓦物件に遭遇出来て私うれちい(*´д`*)!
さてそこを抜けて県庁を目指していると歯医者さんが。
そこにも煉瓦塀っぽいのがあったけど、イマドキ煉瓦ちゃんだよね^^;
でもその裏側は、そんなに新しいものでは無かったのですよ。
さて、中間地点として目印として歩いていた長野県庁に向かっていたはずなのに、どうやら少し通り過ぎてたみたい^^;
目の前には煉瓦の門柱が残る長野議会議員会館が。
この門柱は大正3年に再建された会館の門柱だとか(初代は明治20年。焼失により22年再建。更に大正2年またもや焼失・・・
どんだけ憂き目にあってるのよこの議員会館^^;)
さてっと、
今回の煉瓦遺構探索の最終目的地は、ここから先の善光寺周辺に点在しているのですが、
この長野市の官庁が居並ぶ界隈にも煉瓦構造物が結構あったんだよ^^
県庁通りの大きな道の片隅には、名も知れぬ煉瓦の残骸(廃墟かな?階段周りや柱など)
そして道路の右手を歩いていた私だったんだけれども、
長野地裁の庁舎が左手に見えたところで『ビビビッときた』
何じゃあれ???
ぶっちゃけすんごい目立つ怪しい煉瓦ちゃんだよおう^^;
オブジェじゃないだろうしぜってー昔の何かの名残だよね!
せっかくなので立ち寄ろうっす☆
なんだろ???
入り口だったようにも見えるし、
何らかの水の通り場だったようにも思えるっす(中は閉塞してるけれど)
ん?
むう~・・・刻印と呼ぶには微妙な半月のくぼみ。
でも欠けたにしちゃ綺麗過ぎかな。
結局この時点では何の名残なのか意味不。
これは過去を洗ってみる必要ありだわさ!
ふと、
先ほど渡ってきた県庁通りの向かいの方に煉瓦ちゃんが見えた。
思わず元に戻ることにw
そこはひまわり公園と言う場所でした^^
よく見ると公園周りの煉瓦ちゃんは結構古そうな感じ。
と言うかこの公園の敷地スペースも何かを匂わせる。
昔、ここに何か建ってたんじゃないのかな?
とりあえずせっかくなので公園内に入ってみた。
そこには時計塔が高台に建っていたの。
(この時はなんてことない公園内の立地だと思ってた。随分起伏のある公園だな~くらいにしか思ってなかったの。
でもこの段差、調べていくとそうでは無かったみたい。
今では均されているけれど、元々はこの段差自体無かったとのこと。
それはここがかつて地震による『断層のズレで隆起した場所』なんだってさ!
※善光寺地震活断層跡※)
公園の丘までやってきたよ^^
するとそこにも公園の外周部のように煉瓦の露出する柵がぐるりと囲んでたっす。
吹き付けが綻んでいるところを注意深く見ていくとーーー
これまた微妙なブツがw
『二』なのか『ロ』なのかハッキリしてよw
さてその他も見ていくわたし。
ん~。正直言うと何かを断定するものは特になし。
ただ単に古い公園なのかな?とか
古そうな煉瓦ちゃんをたまたま再利用しただけかな?って思った。
でもそれで終わったらただの散策。
一応ここいらの成り立ちを色々と追ってみたよ^^
まずはこの地図を見てね↓
これは明治42年に刊行されたこの市域をざっとだけど表した地図っす^^
(袖珍日本新地図)
今現在の比較地図を乗っけてないから分かりずらいと思うけど、
私が今いる辺りは『製糸場』と記載された『ヌ』と言う場所。
これを見るとさっき居た煉瓦のプチトンネルみたいなやつは『二』と記載された『監獄署跡』だったみたい!
と言うことはその名残の可能性高いみたいね(はい。名残です)
製糸場跡=ひまわり公園に使われている煉瓦とはいかないけれど、
少なくとも監獄所跡の遺構は間違いがないようっす^^
さて前半はここまで。
次回からは地図に記載されている『イ』と『ト』の場所へと行きますよん^^
そこには善光寺や県庁の移転、長野監獄の変遷も関わってきます。
ではではまた今度っす(*´д`*)