琴音の煉瓦刻印発見録♪『千葉県・旧血清研究所赤レンガ倉庫の刻印』市川市国府台 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]
『そう言えば琴音君。煉瓦研究仲間からこんな情報を得たぞ?アッハッハ^^』
教授から教えていただいた情報は、
『11月29日日曜に千葉県は市川市国府台にあるという、旧血清研究所赤レンガ倉庫の年に一度の一般公開』の話だったっす^^
ネットでも何度か見かけたその赤レンガ倉庫が一般公開と来たら行かないわけにはなるまい。
っつーことで行ってきましたっす^^
午前10時から12時までの短い公開。
午後の講義の前に出向いてまいりやした☆
やってきたのはJR市川駅。
もっと近い選択肢もあったけど、ナビで調べたらここから歩いてもそう遠くなかったので^^
歩く事20分くらいかな?
目的地の目印である高台にある女子大が見えてきた。
ネット情報ではココから結構道が分かりづらいって散見されてるんだけれどおー
ご丁寧に道行くところに案内が括りつけられていたので迷うことなく行けましたよ^^
20分前に着いたのだけれども、もう既に受付は結構な賑わい。
主に地元のおじいちゃんおばあちゃんぽい方々が多かったっすけど、
煉瓦好き好き臭をプンプンさせるような方達もチラホラいたっすw
ま、私もその一人なんだがw
簡単なパンフとアンケート用紙を受付で頂く。
アンケートは帰りにでも提出すればOK。
店と横には少しばかりの物品コーナーと、カンパ箱が長テーブルに陳列。
私は500円の資料本を購入^^
結構お徳な買い物だと思うし、少しでも貢献できればいいかな?といつも買うようにしてる。
さてこの門を潜った先にブツはあるんすが、その前に簡単に説明をば^^
1875年、この地に大学校建設計画が立ち上がるのです。
とは言え都心部から遠いこと。江戸川などの河川を何本も越えなければならないこと。台地と言うことで飲料水の確保も不便。
結局この計画は上野の本郷に譲ることになります。
それが所謂、東京大学だったりします^^
でもこの地をこのまま放っておくのはいただけないと、旧陸軍などが目をつけて連隊を置くんす(簡略してるけどもっと色々あるっすw)
この先のお目当ての赤レンガの倉庫ちゃんは、その旧陸軍時代の武器庫だったりします^^
それも戦後は用済みですよね?
武器なんていらないし接収されてしまいました。
武器庫として使われなくなった後は壊されたりと風化の一途と思いきやーーー
別の用途で使われることに。
終戦当時は公衆衛生が悪化。チフスやコレラ・天然痘などの伝染病も発生する世の中に。
そこでワクチンなどを開発製造する会社が必要となってくるわけっす^^
全国に沢山造られました。
その中でも旧千葉県血清研究所と言う日本で唯一の公営のワクチンメーカーがここであり、
そのワクチン類の資材などの倉庫として武器庫は再び使われることになるんです。
殺傷兵器から人を生かすワクチンの保管庫への変貌。
ある意味不思議な縁であり皮肉なものだと思います^^
(※ 実は平成14年・2002年までここは使われていました)
赤レンガ倉庫に近づくと脇にパネル展示が^^
ここ市川市に残る他の煉瓦建築や、全国の煉瓦建築の建物(主にフランス積みフランドル積みの建築)などを紹介してましたっす。
なんだかんだで写真にある建物にほとんど行ってたのは自慢っすねw(五島列島の教会とかもあったよー☆)
さて、目的の煉瓦倉庫ちゃんの前に建つ建物も紹介ね☆
こちらは血清研究所時代の『製造棟』
渡り廊下を挟んで右手の建物が『事務棟』
今や立派な廃墟ですね^^;
お兄ちゃんが見たら喜びそうっすw
その渡り廊下を潜れば目の前にはーーー
『旧血清研究所赤レンガ倉庫』っす(*´д`*)
意外と小さいって聞いてたけど、それでも大きい感じに見えたかな^^
さてと、どうやら10時過ぎから見学会の説明があるらしいのですが、
その前にも是非ご自由に見てくださいとのアナウンスがありました。
ならば自由時間と言うことでさっそく見学開始です(*´д`*)
ここの銀杏はまだ青々してた^^
南側部分かな?
屋根部分には東日本大震災のダメージが・・・
裏手に周ってみます^^
長手~小口~長手~小口~のフランス積み!
現存する日本の煉瓦建築でも貴重な部類の積み方ですね(*´д`*)
・・・とは言え正確には角面も見ないといけないので角っちょも見てみる。
角面の積み方でフランス積みかオランダ積みに細かく分かれちゃうんだけど、
私ってば未だにさっぱり分かりませんw
(教授に怒られそう・・・^^;)
---ふと、
簡易な脚立にのぼって窓枠の煉瓦の裏側をじっくりと眺めているオジサマふたり組みがいたのです。
どうやら会話を聞く限り、そこに煉瓦の刻印があるらしい☆
せっかくなのでオジサマの後に覗いてみる(*´д`*)
するとーーー
刻印がありました(*´д`*)
写真じゃ分かりづらいけれど・・・『カタカナの゛ホ”に見える刻印』っす(*´д`*)
さっそく刻印ゲットっす♪
その後は裏手側の階段を上って二階部へとやってきました^^
階段を真ん中にして右手に『第二倉庫』
左手に『第一倉庫』がスペースとしてあるんですが、
なぜか第二からw
ワクチンゴム栓って壁に書いてある。
ゴム栓はここに置いてたんでしょうね(そのまんまの感想w)
中の梁は木造。外壁は煉瓦。
窓際にはーーー
閉鎖された当時のままなのか、主催者様のかる~い演出なのか、
ここが実際なんであったかを分かりやすく見せるブツが置いてありましたっす^^
第二倉庫を出て上を見上げると・・・
『兵器掛け』と言う、なんとも物騒な感じの札が残ってた^^;
その横には『使役兵』の札。
さて、階段を登りきった窓からは集合時間だろうか、
この赤レンガ倉庫の前のスペースに人だかりが出来ていました^^
かまわず私は第一倉庫へ行くw
盗まれてはかなわん!と言うことで付けられたであろう鉄格子が窓の外に取り付けられているのが分かる。
こっちは・・・応急処置なんだろうね^^;
ゴミ袋で窓を囲ってました。
先ほどの屋根の修復もままならない状態を見てお分かりと思いますが、
この建物は保存修復もままならぬ状態とのこと。
現在は『赤レンガをいかす会』と言う方々が、この歴史的赤レンガ建築の保存をしようと活動されているようですが。
このスペース唯一の陳列物と言いますかポツンとある棚の中には何かの準優勝楯が。
ここで一通り見終えた私っちは、例のヤツを探し回ることにした。
例のヤツってのは当然煉瓦刻印っすよね☆
まずはーーー
煉瓦の刻印を見受けられそうな窓枠の平面をば。
あったねえ~^^ 『ホの刻印』
探すと別の窓枠越しにもう一つ見つけた^^
とは言え、ここまではネットで調べて知ってたことだったし、
先ほどのおじさんたちの会話を聞いてても割りと有名な箇所だったわけでアリンス^^
でもほんとにここだけなの??
そう思った私っちは、お外へと向うのであったw
ここは方角的に北側の部分かな?
ここには併設してプレハブ的なスペースがあったっす。
中には昭和を思い起こされるガチャガチャとつまみを回すテレビがあったよ♪
守衛さんのお部屋なのかしら???
さあ~表側にやってきました私^^
見上げたソレは実に渋い煉瓦壁(*´д`*)
私はゴソゴソとリュックから双眼鏡を取り出して、
軒下の煉瓦刻印探しに勤しみました(レディー・・・GO!)
するとあるある宝の山がw
えっと・・・表側だけで10近くあったかな^^
ホの刻印。
でもワタシ的には本当にカタカナの『ホ』なのか疑問・・・。
双眼鏡を駆使し、時には望遠カメラでじっくりと眺めていると、
広場に集まった見学者さんたちから主催者様への『質問受け付けますよ的コーナー』が始まってた^^
私は聞き耳を立てつつも刻印探しに没頭していたけれど、
ある方の質問に少し手を止める。
私も気になってた質問だったからだ。
『えっとですね。ここに使われている煉瓦の出所は分かっているのでしょうか^^』
正にソレを思ってた私は質問者のオジサマにグッジョブ!と心の中でエールを送る♪
なんせ煉瓦刻印マニアは、その煉瓦がどこで造られたのかを知ることこそ最終系であり完結であり
一番知りたい事ですからね☆
その質問に、代表者の方はあっさりこう答えた。
『いまだ分かっていませんね~』と。
やっぱりかーってのが私の感想かな^^;
正直、100年を越える明治期の煉瓦建築の煉瓦の出所を探るのってかなり大変だもの^^;
大きな煉瓦工場やメジャーな煉瓦建築ならば、見積書やら何やら資料として残っているものですが、
軍事に関わっていたり、小規模だったり、戦火で資料そのものが無くなってたりして記憶も記憶も少ないしね。
そして代表様は続けた。
『出所はいまだ分かりませんが、この建物にはいくつか煉瓦の刻印があります^^
出所の手がかりとなるやもしれませんね^^
2~3箇所刻印が見れるところがありますので見学の際には見られてはいかがかなと思います^^』と仰ってました。
・・・へえ~2~3箇所ねえ^^;
まあ、目視で見られる範囲はそうだとも思います^^
実際には私が見た限りじゃ10っこ以上あったんだけどな・・・。
まあ~望遠で煉瓦刻印探したりする人なんてほとんど居ないし、マニアックだしまあいいかと、
私は自分の趣味の為に再び刻印探しに戻った。
---するとです!
どう考えても『ホ』の刻印以外の刻印ぽいの見つけたんですけど^^;
場所的に言うならば表側入り口の左手斜め向かいの軒下あたりでしょうか。
『●が2つの刻印』
どう考えても傷じゃないよなあ・・・。
『もうご質問はありませんね^^ ではこれから内部の見学へとまいりましょう。 たいへん盛況ですので一編に大人数で中へ入るのは難しそうですーーー』と、見学会としていよいよスタートした頃、
私は今さっき撮影したホの字以外の刻印画像を代表者様に見せに行ったのです(マジな話)
『軒下にホの字以外にこんなのがあったんですけれど』と。
するとあっさりばっさりと、
『それは煉瓦の刻印じゃないですね^^』と切り捨てられましたw
『はあ・・・そうですか。そうですよね^^;』とすごすごと退散しましたが、
それはないんじゃない?
いや・・・刻印じゃないと研究機関に頼んだり大学やら郷土資料館の方々に依頼してもう調べがついているのかもしれないけれど、
刻印の可能性はあったんじゃないかと私は思うんだけど^^;
そもそも軒下煉瓦にある刻印を把握してたのかしら?
(※ 2015年の今年。この赤レンガ倉庫屋根に『天工会社刈谷工場』と刻印されている愛知県由来の棟瓦が使われていることが初めて分かりました。
それは保存会が発足してから今まで分からなかったことだと思います。
あえて言いませんが、ひとつの可能性から色々分かることもあると思うんですよ。
それが些細な発見でもね・・・)
見学会、午前10時をいくらか越えた頃、ドッと赤レンガ倉庫の入り口付近は見学者の長蛇の列をなしていたっす^^
歴史的遺構を残す集まりや努力、素敵だと思います^^
知ってもらって来てもらって分かってもらって絶対損は無いっすよね^^
でも私はなんだかモヤモヤした気分で早々にここを去ったっす^^;
歴史的遺構を残す地域の運動はとても大好きだし応援したい^^
でも私はたぶん、ここにはもう来ないかも。
おはようございます。
同じ赤レンガの建造物・・・ギャップ大きいですね。
by YUTAじい (2015-11-30 06:24)
担当の方の対応次第で考えちゃいますよねぇ。
もう少し親身に対応してくれたら…
あ、クレーム対応もこの範疇に入りますね。
by まめ (2015-11-30 12:19)
アッハッハ、私はこの日どうしても外せない会議がありましてな。
どうしても参加したかったのですが、写真での報告、しっかりと拝見させていただきましたぞ!!
煉瓦積みの角処理は、七五分の煉瓦を使っているので『オランダ積み』ですな(*^^*)
イギリス積みといわれているものも、実はほとんどオランダ積みであることの方が多いのではないかと、最近は感じていますぞ。
まぁ、広い意味で『イギリス積み』といってもいいのではないかとも思います。端の処理が確認できない場合は総称して『イギリス積み』とし、端に『ようかん』が使われているか『七五分』が使われているか確認できる場合は、『イギリス積み』と『オランダ積み』を区別して使えばいいのかと考えています。また情報が入ったら提供しますぞ(^_-)☆!!
by 駅員3 (2015-12-01 07:36)
いやぁ〜...参りました。サブウログまで煉瓦が。
ホホホのホ。ホって見えますよねぇ。
by orange (2015-12-05 21:37)
おはようございます。
お疲れ様でした・・・また色々行きましょう。
by YUTAじい (2015-12-07 06:24)