琴音の煉瓦刻印発見録♪『盛岡ふれあい覆馬場プラザ』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]
新青森駅で首塚先輩を見送った私たちは、新幹線に乗り込み東京へと帰るだけだったんすがーーー
私はどうしてもこのまま真っすぐ関東に戻るのはもったいなくね?と言う衝動に駆られてお兄ちゃんに懇願した。
『ねえねえお兄ちゃん。私・・・盛岡で途中下車したいっす(*´д‘*)』と。
勿論そりゃ色々言われましたよ?
『はあ?お前何言ってんの???』『新幹線で途中下車して、また新幹線乗るなんて割高じゃん^^;』ってさw
私はそれでも負けずにお願いしたのだ。
だって盛岡の煉瓦ちゃんも見たかったから・・・
『しょうがねえな。また競馬で儲けてやんよ^^』と、ちょっとくしゃくしゃになった1万円札を二枚、私の胸にドンとくれたお兄ちゃん。
『ありがとうお兄ちゃん^^』
『そのかわし、いい報告待ってんぞ^^』と親指を私に突き立てた。
私は『あたりまえじゃんw』と返して、盛岡駅で途中下車を敢行したのでありやす^^
北東北煉瓦奇譚番外編。
ここにスタートっす^^
(※ メイン記事の北東北煉瓦奇譚編の番外編を先にスタートです。いずれメイン記事とリンクする予定です)
さて盛岡駅に降りちゃった私。
盛岡にも幾つか古煉瓦の建物が点在するんだけど、
いわて銀河鉄道で一駅の『青山駅』を目指すことにしたっす^^
時間にしたら大したこと無いんだけど(10分くらい)
なんせ本数が少ない^^;
乗車時間より電車を待ってる方が長かったけど、ようやく青山駅へとやってきたぞっ!(*´д‘*)
何でもこの青山駅の北側(西側かも)にはかつて軍の敷地があり、
そこには煉瓦構造物も近年まで数多くあったらしいのよ^^
その中で町の施設として今でも生きながらえている煉瓦構造物を見に行くっす!
駅前はいきなり森永乳業㈱の盛岡工場の広大な敷地。
そこの外周をなぞっていくように歩くとそこは
岩手県営体育館と付随する児童公園がありましたっす^^
その更に外地は民間の商業施設『アスライフ』
私は公園内を突っ切って目的の場所へと向かう。
すると隣接するアスライフの関係者用駐車場入り口に煉瓦ちゃん発見(*´д‘*)
ところどころ造りかえられてモニュメント化って感じっすけれど、煉瓦と門柱の頭らしいところは何か昔のままっぽい!
さすがにここまでガッチリとガードされてちゃ刻印探しも出来ないから眺めて終わりw
そしてわたしはこのすぐ横にある目的の場所へと辿りついたんす^^
『盛岡ふれあい覆馬場プラザ』と言う2棟の煉瓦遺構っす^^
今ではスポーツ施設や各種イベント用の管理棟として存在する建物だけれども、
明治42年建造の、かつては軍の兵馬の調教訓練や育成の場として使われた煉瓦ちゃんだったりするんすよ^^
これはお兄ちゃんの受け売りだし脱線話になっちゃうけれども、
岩手県には今現在地方競馬場が二つ存在するんす(盛岡・水沢)
同じ県に地方競馬場が二つもあるってのは意外と無い。
実は元々岩手県ってのは馬産地でもあったのです。
北海道開拓で北海道の馬産地が今や主流なんすけど、
かつては岩手や青森が馬産地としてのメッカだったんす^^
さてなぜ馬の生産地と競馬場?って話になっちゃうけど、
日本の競馬や競馬場ってのは『強い軍馬育成』を元につくられたんすよね^^
この盛岡ふれあい覆馬場プラザも日本競馬史の中の本流の礎のひとつーーーだったのかもっすね^^
お兄ちゃん、ここに私が行ったんだよって言ったら喜んじゃうかもなあ(目に浮かぶぜw)
さて、さっそく参ろうじゃありませんか。
勿論ここまで来たのは当然、煉瓦の刻印探しです(*´д‘*)デヘヘ
っつーことで探ってみたよ(*'ω'*)
およよ? イマドキ煉瓦ちゃんと古煉瓦ちゃんの境界線。
そう。近年までは廃墟化同然で取り残されていた場所でもあったようで、ところどころイマドキ煉瓦ちゃんで修復されていたりもします^^;
出どころ(この建物に使用した煉瓦を焼いた煉瓦工場)はよく分からないけれど、
古煉瓦の機械成型特有のちりめん皺(*´д‘*)
(※ 煉瓦工場はどこか? 盛岡には煉瓦工場がいくつか存在しましたが、その中でも可能性のあるのはーーー
今はベアレン醸造所㈱と言うクラシックビアーを製造する会社さんですが、
かつてその地には明治の頃からの煉瓦工場が存在していたそうなので、そこなんじゃないかなあ~と勝手に思ってたりしますw)
刻印らしきものを求めて軒下や、土台部に突き出た煉瓦の平面を追っていく私。
ぐるっとじっくり時間かけて一周したけれど、
結局、煉瓦の刻印らしきものには出会えなかったっす^^;
まあ~こういうこともあるっす。
そうそう煉瓦刻印にお目に掛かれるものじゃ~ないからw
でもね・・・ちょっとと言うか・・・
だいぶこの後後悔することになるんすよ。
このプラザに隣接する青山児童センターの門の裏に『この覆馬場に関連するだろ!絶対にw』って思うくらい、
煉瓦の瓦礫が小山になってたの。
残念ながら・・・そこは児童がお迎えのお母さんを待つ遊び場となっていたし・・・
数人のお迎えのお母さん達が傍で談笑してたのでカメラさえ向けられませんでした^^;
流石に不審者に思われそうだしその場は諦めたけれど、
『煉瓦に興味あるので見てもよろしいでしょうか?』と断りを入れて煉瓦を調べれば良かったんじゃないかと後悔したわけですよお^^;
まあ~くよくよしててもしょうがないっすよねマジでw
いつかコッソリと煉瓦を漁ってみたいと思いますw
その後はーーー
かつて日本軍の敷地で会った森永さんの工場をフェンス越しに見ながら青山駅へ
するとそこにも軍の遺構がありました^^
旧陸軍騎兵、第三旅団第二十三連隊司令部正門跡っす^^
説明は・・・いいかなw(長くなるし)
昔はこのフェンスの向こうに軍の司令部や兵舎、そして覆馬場があったということっす^^
森永さんの敷地の植え込みには結構煉瓦片があったけれど、入れないからなあ~w
ま、そんなこんなで素敵な煉瓦遺構に出会えたっす(*´д‘*)
でもまだまだ次回に続いたりするのだw
nextーーー盛岡駅近くの煉瓦遺構へ!
おはようございます。
本当に探求心に脱帽です・・・奥が深いですね。
by YUTAじい (2016-05-10 06:43)
がっつり煉瓦遺構探索家になりましたねぇ。
今はあちこちウロウロする気力が全くない感じですorz
by まめ (2016-05-11 12:24)