琴音の煉瓦刻印発見録♪『取手市・岡堰の刻印』竜ヶ崎市旧諸岡邸、取手市岡堰ほか [琴音の煉瓦刻印発見録♪]
ちょっとポケモンGOにハマりすぎて煉瓦がおろそかになってるっすねw
とは言えスマフォ片手に出向いた旅先ではポケモン以外もしっかりチェックしてるっすよ^^
私にとって煉瓦こそポケットモンスター。
そんな私は茨城県の河川敷に素敵なレアモンげっとしてきたぞい(*´д‘*)
まず向かったのは竜ヶ崎市の煉瓦建築。
なんでも壊すにはあまりにも勿体ない!ってことで町の有志さんと市が協力してようやく移築して残せた難産な物件なんだそう(9年くらい発足からかかったそうです^^;)
やってきたのは『旧・諸岡邸、赤煉瓦門塀』
関東鉄道・竜ヶ崎駅から数分の八坂神社裏手にそれはありました^^
おー!実に立派な赤煉瓦ちゃん(*´д‘*)
ですが私っちが一番知りたいのは『この煉瓦の出どころ』
調べてみるとこの赤レンガ保存委員会様のHPに『東京駅と同じ煉瓦が使用されている』との記述。
東京駅には色々な煉瓦工場の煉瓦が使われているけれど、
普通に考えたら日本煉瓦製造㈱の煉瓦かなあ。
この門塀の創建が大正10年。
日本煉瓦製造㈱ならばーーー『日煉』の刻印なはず^^
っつーことで早速刻印探しにとりかかりやしょうず!
立派な覆輪目地。
内科・外科・耳鼻咽喉科の町のお医者さんの邸宅だったそうですが、お金かかってそうw
むしろ目地を壊さずどうやってここまで移築したのか移動方法の方が気になった私です。
(なるべく当時のまま移築し、足りない部位は修復されたそうです。今ではかなり難しい覆輪目地の再現。
修復工事にあたられた関係者様の技術力や努力って凄い!)
ポスト?らしき部位もありましたっす^^
裏手の目地はベタ塗りなのはご愛敬。
しかし残念ながら煉瓦刻印は見つけることが出来なかったなあ~。
さてファミレスでランチをした後にもう一軒の煉瓦構造物に会いに行くことにしたっす^^
それはーーー
取手市付近を流れる小貝川にある『岡堰』と言うところ。
なんでも関東三大堰のひとつであり、その『旧・岡堰』に用事があるのです^^
取手駅から関東鉄道常総線に乗り換えてーーー
ゆめみ野駅で下車した私は、珍しくタクシーを使っちゃったw
現場まで大した距離でもないし、いつもなら何か発見があるだろうと歩くのだけれども、
見渡した景色はどう見ても近年開発された新興の町。
これはめぼしいものは少なかろうとショートカットしたわけっす^^
今現在の岡堰を見渡せるところで降ろしてもらいました。立派だよね~^^
で、
目指すは勿論そっちじゃないっす。
私が向かったのは、
その上流部の中州的な小島に用がある。
川に小さな島がポツリポツリ(この更に上流にも一個)
目の前に橋が架かっているのが『中の島』
ここがかつての堰だったみたいね^^
橋を渡った先に何か色々見えてきたよ?
何あの銅像は???
せっかくなのでまずはその銅像へと近づいたのです。
え?間宮林蔵!?
歴史に疎い私っちでも何か聞いたことある間宮林蔵さんの銅像がドーン!っすよマジで。
間宮林蔵さんと言えば日本で初めて地図を完成させた伊能忠敬の後のお弟子さんでもあり、蝦夷(東北北海道)の測量の父。
樺太を発見した人でもありやすね^^
その間宮さんの出生地がこの界隈であり、この岡堰の建築にも関わっていたからここに銅像が建てられたのは後で調べて分かったことです^^;
間宮林蔵先生って彫ってあるっすね^^
そして間宮さんが見つめるその先にあるのが、恐らく昭和期に改修された堰の名残。
コンクリートとは言えかなりの年代物です^^
欄干部位なのかな?
水門扉の前に残るコンクリートの橋梁部位は味わい深いものがあるっすね(どこか懐かしいコンクリートの躯体っす^^)
さて、
元々の岡堰のハジマリは寛永7年(1670年)の江戸時代の初期も初期っす^^
この頃はバンバン土地改良やらしたんです。
なんせ江戸幕府ってのは利根川水系をいじってせき止め、時には流路を改良し、
関東の水運や治水に注力し後の江戸の都の発展を大きく促しましたから^^
そのおかげで江戸時代が長く広く続いたと言っても過言ではないんだけど、歴史の表舞台にはあんまり出てはこないみたいです。
まあそれはおいておきやしょうっす^^
この小貝川の築堤の上に立って360度まわりを見渡すと誰もが一発で分かる水田地帯が広がります。
岡堰は小貝川の治水も当然ですが、農業用水を引く為にもかなり活躍したのが容易に分かるってことなんす^^
そんな岡堰。
何度も改修されては近隣の農業や生活を守ってきたわけなんですが、
明治の時代に入ってから、なんと煉瓦ちゃんに改修されることになるのです(明治32年)
時代柄とでも申しましょうか。
明治初頭~中期にかけては関東平野の堰や土木建築は煉瓦を多く取り入れたんすよね(埼玉県は特に多い)
それも昭和にはコンクリートに主役を奪われる訳っす。当然、岡堰も。
でもそんな昔の名残を岡堰先輩は公園の片隅にひっそりと残してくれたわけなんですよん(*´д‘*)
それがコチラ↓
まずは素直に『取っておいてくれてありがとうございます』と私は感謝してしまった。
だって・・・新しいもの奨励。古きものは廃棄の時代ですもの(それでも今はトラスト活動もだいぶ盛んになりましたよね^^)
残ってるだけでありがたいですぜ☆
さてっと、
当然こんなものを残してくれたなら敬意を表して刻印探しでしょうw
刻印探しもまた歴史の証明(ちょっとおおげさ)
どこで造られ、何年に存在した煉瓦工場の小さな煉瓦の物語の証(あかし)を早速探してみたよん^^
するとーーー
速攻!刻印らしきものを八犬伝です。里見っす(*´д‘*)
刻まれた刻印は『〇に大』かな?
もっと近づいてみるとーーー
やっぱり『〇に漢字の大』^^
これだけかな?と他を探るとーーー
うーん、うーん・・・『〇に漢字の山?』なんてのもありましたっす^^
そのほかにはもっとクッキリとした『〇に大』
こちらは書道で言ったら『はらい』の部位があるのでほぼ『大と言う漢字』で確定だと思うっす^^
煉瓦積みはやっぱりイギリス積み(明治中期からの流行りの積み方。しかも結構、堅牢な積み方とも言われています^^)
よく見ると水に触れるだろう外側は黒っぽく、積み重なって水に触れることが少ない部位は赤色。
これは焼き締めた煉瓦ちゃん『焼過煉瓦』
こうすることによって普通の赤煉瓦より吸水率を下げるコーティング仕様になってるわけっすね~^^
堰を造るために一個一個煉瓦ちゃんも考えて焼かれてるんだから凄い(昔の人パないね!)
さて、現場ではこれ以上刻印を調べようもないので自宅に帰ってから色々とこの刻印はどこの工場なのか?を調べてみたっす^^
うん。
さっぱりわからないw
茨城県の明治期の工場通覧なども見てみました。
もしかしたらば千葉県や東京府で焼かれた煉瓦ちゃん?とそっちも探してみましたっす。
何軒か候補っぽいのあったけど確信はどれももてませんでした^^;
そもそも屋号的マークである煉瓦刻印。
工場名の頭文字が素直に刻印として打たれていないものも数多くありますしねw
その代わり、調べて行くうちに『別の煉瓦刻印物件』が取手市の近隣の市にあるのを発見しちゃった(*´д`*)
っつーことで、次回は日を改めて再び茨城県へと突入したいと思いやす☆
※ ちなみにこの岡堰の取材時点ではまだポケモンGOを手にしていません。
だから次回は刻印とポケモンも一緒に探しにくっすよ(*´д`*)デヘヘ
なんでも公園にあるらしいので!
おはようございます。
ポケモンソフト更新されて・・・車の移動がダメに、つむつむで我慢してます。
by YUTAじい (2016-08-15 06:38)
当初よりも見かけなくなりましたが・・・
完璧レンガの方が健全ですからね。
で、化け猫報告・・・
by まめ (2016-08-15 09:01)