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琴音の煉瓦刻印発見録♪『江別屯田兵第三大隊本部火薬庫跡の刻印☆』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『北海道煉瓦は時代によって繁栄した地域も変遷しました』

 

 明治初頭の開拓使時代は主に札幌の白石区(北斗の茂辺地もあるが)

 そして明治中期となるとその近隣である『江別』もしくは『野幌』が北海道煉瓦の一大中心地へと変わっていくのでやんす^^

 

 さて、ちょっと旭川でラーメン食べると言う寄り道しちゃったけれど行きやしょうか!

 北海道煉瓦のメッカ江別市へ(*´д`*)

琴音の煉瓦刻印発見録・江別屯田兵第三大隊本部火薬庫跡の刻印2.jpg

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 やって来たのはもちろん江別。

 ここ江別駅から野幌駅界隈までは『北海道煉瓦の一大生産拠点だった』とです^^

 

 流石に震災やコンクリの台頭、煉瓦需要の減少もあって現役工場は今や数棟だけれども、それでも今なお煉瓦生産量は日本一!(シェア20%)

昭和33年頃の野幌の窯業工場群の概略地図アレンジバージョン.jpg

 これは昭和30年代のこの地域図。

 

 関東の煉瓦工場群は昭和時代にはほとんど閉鎖廃退していたと言うのにこれだけの工場が存在していたのだからメッカと言わざるを得ないっすよね(*´д`*)

 

 さて、今日最初に向かうのは江別駅から歩いて7分くらいの煉瓦物件っす。

 そこは煉瓦マニアなら割と有名物件だと思うっす。

 なんせ『煉瓦刻印が見られるのが確定してる物件』っすからね(*´д`*)

 んじゃ~行きやしょうず☆

 

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 駅から三丁目通りって道を真っすぐ行くと学校跡が見えてきます。

 そこから左手の丘を登って行くと物件があるんすが・・・

 一応、学校跡のことにも触れておきやしょう。

 

 ココにあったのは『江別小学校』(明治19年開校。創立時は東江小学校。明治32年に現在の場所へと移転。平成28年廃校)

 その旧校舎は立派な煉瓦造りだったそうっす・・・

 近年まで残ってたんだからもっと早くここに来ていればよかった。

 私ってばすごーく後悔してるの。

 

 気を取り直して先へ進みましょうず^^

 丘を登りきるとソレはありました。

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 うひょー!

 なんて素敵な煉瓦ちゃん(*´д`*)

 例えるならトランジスターグラマーかな。

 小柄だけどボッキュンボン!って均整の取れた体つき☆

 

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 ここは『江別屯田兵第三大隊本部火薬庫跡』

 明治19年頃建造。

 

 北海道に唯一残る煉瓦造りの屯田兵施設なんす^^

 

 その説明書きにはーーー

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 この火薬庫に使われた煉瓦は札幌の白石にあった『鈴木煉瓦製』と記載されてたの。

 

 鈴木煉瓦と言えばーーー

鈴木煉瓦.jpg

 明治17年創業の北海道を代表する煉瓦工場だったところっす^^

 その煉瓦は『北海道庁旧本庁舎』『サッポロビール博物館(旧札幌製糖工場)』などの開拓使時代初期の有名物件に使われただけでなく、鉄道系煉瓦にも数多く使用されたそうっす。

 

 え?

 なんで江別が煉瓦のメッカって言ってるのにわざわざ札幌の白石の鈴木煉瓦が使われてるのかって?

 

 それは江別に煉瓦工場が数多く立ち並ぶようになったのは明治中期の24年頃からだったからね^^

 当然この火薬庫も札幌の白石産の煉瓦を使うしかなかった訳っす(もう一度言うけど火薬庫は明治19年頃)

 

 因みにそんな栄華を誇った鈴木煉瓦さんも、前記事の岩見沢レールセンター編で登場した『北海道炭礦鉄道』が江別市に(野幌に)大規模煉瓦工場を造ったおかげで衰退し、大正期に廃業したとです

(※それだけが理由じゃありませんよ? 江別・野幌の広大な土壌が煉瓦に適した土地柄だったことや、コンクリの時代に突入して都市部と化した白石区には不利だったこと、その他諸々様々な要因があった)

 

 さあ~随分と簡単に北海道煉瓦のメッカの変遷を紹介しちゃったんだけど、

 私はもうウズウズしてるの。

 それはもちろん煉瓦刻印を見たいからだべさ(*´д`*)

 っつーことでぇ

 レッツ煉瓦刻印探しスターーート!!!

 

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 入り口の鉄門扉は当然、後年に付け替えられたものでしょうね。

 

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 うわ、フランドル積みなんだね!

 都内では明治20~23年頃を境にイギリス積みが主流となっていったのだけれどお、

 北海道も同じなのかな?潮流(時代の流れ)って奴?

 

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 腰回りには少し色違いの煉瓦も使われていました。

 多様な煉瓦を焼いていたと言う鈴木煉瓦。

 焼き過ぎ煉瓦も塩焼き煉瓦も製造していたんだと思うっす。

 

 んじゃ、早速、軒下煉瓦ちゃんからいきやしょう^^

 見上げてみるとーーー

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 早速あったよ!

『〇にSの刻印』(*´д`*)

 

 ん?

 でもすぐそばにこんなのも!?

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『Eの刻印?』

 それともーーー

『山の刻印?』かしら???

 

 わたしってば前情報では『〇にS刻印』があるって聞かされていただけだから、これには面食らった^^;

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 よく見るともう一つの屋根の隅にある軒下煉瓦にもE刻印。

 

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 その他は〇にS。思ってたより結構あるのね^^

 

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 さて裏手へと廻りましょうず。

 

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 すると屋根の4隅の軒下煉瓦ちゃんに『だけ』Eの刻印が存在していたのですよこれがまた。

 

 ・・・なんでだろ?

 

 これはどう考えても『意図的』

 でも~その意図は読み取れない^^;

 何か風水的なものなのかな???

 

 その他にはーーー

DSCF5380.jpgDSCF5382.jpg

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 〇にS刻印が10数個確認できたっす(多いねw

 

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 んじゃー、腰回りの焼しめたっぽい煉瓦ちゃんの裏側も覗いてみることに。

 そしたらばーーー

 

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 一個だけ刻印を見っけたよ☆

 釉薬煉瓦だったら刻印も無いと思うし(あっても塗り潰れちゃう可能性大)

 焼き過ぎ煉瓦ちゃん確定なのかな^^

 

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 ぐるっと一周してまた元の正面へ戻ってきました。

 

 あらためて見ると火薬庫にしては屋根周りがとても立派。

 むしろ火薬などの爆発物を収納するのにこんなに凝った意匠でいいのかな?とか思ったっす。

 

 本当に火薬庫だったのかな?

 もしくは実利以上に立派にすることで大隊本部の威厳を保っていたのかも。

 

 さて次回も江別駅~野幌駅間をブラブラしやす^^

 消えてしまった煉瓦、再利用された煉瓦など登場です。

 

 あと、この『Eの刻印』は覚えておいてくださいね。

 北海道煉瓦シリーズの最後に再登場するっすからw

 


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