琴音の煉瓦刻印発見録☆『福岡県柳川市・並蔵赤レンガ☆』鶴味噌ほか [琴音の煉瓦刻印発見録♪]
『昔テレビで見かけたあの場所へ』
今回、わたしっちは煉瓦抜きのノンビリお正月旅行に出かけたんでやんすが・・・
でもでもでもー!
やっぱりせっかく遠地に赴いたなら普段は中々お目にかかれないとこに行きたくなっちゃうっすよね!(煉瓦遺構的意味で)
九州ぐるっと一周旅の最終日、
時間を作って何とか何か所か巡ってきたよ(*´д`*)
ではではスタートぉ!!!
西鉄大牟田線に揺られてやってきたのはここ『西鉄柳川駅』
それってどこなんよ?と言う関東人もいると思うのでコチラ↓
福岡県の南部に位置する『柳川市』ってところで~やんす^^
さてそこってどんなところと言われればーーー
こ~んな感じの風景にすぐ巡り合えるのだ^^
水郷柳川
かつては人もつかない湿地帯だったこの土地は『あること』によって変貌します栄えちゃうんです^^
水が邪魔なら御濠を掘ってそこに流しちゃえばいいじゃん。
その御濠を掘って出ちゃった泥土で宅地や畑を作っちゃえばいいんじゃね?
凄い逆転の発想。昔の人は頭ええっす^^
ほんとはもっと語れる部分もあるけれど端折るからねw
今ではその御濠を川下り(御濠めぐり)に利用して観光スポットになってたりするわけでやんす(正月だけど、この駅でほとんどの電車に乗っていた人が降りたよ。人気すごいね!)
さてこの柳川はそのせいもあって水運の街としても栄えた商業都市でもありやす(目の前は有明海)
明治の頃になると商業倉庫が幾つも立ち並んだ訳っす^^
その中でも特に煉瓦に注目していくよ☆
今回は福岡大の百武先生の『福岡地方の古い赤れんがの化学成分』って言うネットで見られるPDFファイル内に記述された建築物を参考に柳川市内を周ってみたの^^
(※白黒画像だったのでカラー化してありやす)
記述内には悲しいことに現存の煉瓦遺構は思ったよりも乏しいって注釈があるんだけれど・・・
それでも幾つかの煉瓦の名残があるらしい。
その中のいくつかを時間の許す限り廻ってみたっす^^
歩き始めてまず民地に煉瓦蔵が見えましたっす。
先生!ここ載ってないっすけど!って思ったけれどそれはおいておこうw
やって来たのは江戸期の藩学時代から歴史を重ねる超絶歴史のある伝習館高等学校(@_@)
そこにかつての名残があるらしい。
むう~・・・
一見、古そうに見えるけどここでは無いみたい。
(天辺は鳥の糞ばかりだしい・・・^^;)
御濠を伝って学校の裏手へと行きます。
するとそこには!
んん~・・・
びみょー^^;
ここじゃないのかなあ?
よくよく見れば
どうやら改修工事中らしい・・・(切ないなあ・・・)
さて気を取り直して先へと行きやしょうず^^
このご近所の市役所裏手にも古い煉瓦塀があるらしいのでそこを目指すよ!!!
そしたら学校と道路挟んで対岸に立派な煉瓦塀のお宅を発見(*´д`*)
刻印は見受けられなかったけれど不思議な煉瓦積み。
イギリス積みでもなくフランドル積みでもなく長手積みでもない。
門塀付近には煉瓦積みの小屋もある大きなお屋敷でしたっす^^
さてさてさて、
やっとこさ市役所裏の煉瓦塀ってとこにたどり着きましたぜ(ものの2~3分w)
えっとお・・・古いのかな?
でも先ほど見た民家の煉瓦塀と同じ積み方だココ。
(長手積みに横に何個かで小口が入る)
でも小口が入ってるってことは壁として厚みがあって裏壁にも煉瓦面がありそうだと思い、
市役所内からも見てみることにしたの。
ひょっとしたら外壁面だけ補修して裏側は昔のままかもしれないしね^^
裏っかわへと到着。
控え壁もあるし間違いなくこっちが裏側。
ん~どうやらこっちも同じかな?
表側で小口面が見えた部位は控え壁の付近に当たるんじゃないかな?
煉瓦片が散らばってるので煉瓦表面チェック!
縮緬皺も無し。
もしかしてここも改修されちゃったのかな?
(割と近代的な煉瓦成型の縦の線が薄っすらと入ってるし)
さて、記述にはもう一つ『御花』と言う柳川藩主邸宅があった区画にも古き煉瓦塀が残ってるとあったのですが、
この後の時間都合もあって泣く泣く断念(ちょっと遠いのよ、ここからはw)
でも最後にもういっちょ。
本来ならばーーー
今まで見てきた煉瓦の中でも最も柳川駅から最寄りの物件へw
別にもったいぶった訳じゃないっすよ?
最初から時間的にそういうふうにルート組んだだけだからねw
そこはこの柳川市でも特に有名なスポット。
お堀とワンセットでCMや映画にも使われたことのあるところでやんす^^
---歩くこと十数分
それはようやく見えてきた。
『柳川並倉赤レンガ』
あ~んやだあー!
お堀に映りこむ赤い三連の煉瓦蔵がチョーすてく(*´д`*)
さてこの三つ居並ぶ煉瓦蔵。
南棟・中棟・北棟。
実は年代がそれぞれ違うとのこと。
どれが一番古いか(最初に建てられたか)分かるかなあ?w
せ~い~か~い~は~~
『真ん中にある中棟』なんだそうっす^^
詳しい記述は調べきれなかったけれど、
真ん中の中棟が大正初期。
それを皮切りに大正7年までに左右の棟が増築されたそうっす。
じゃあ~せっかくだし望遠ですけど見ていきやしょうず(*´д`*)
真ん中の蔵の低層窓際は小口だけれど、
上面はーーー
ん?小口二個を挟んで長手とか、
小口三個挟んで長手積みとか良くわからん積み方w
フランドル積みっぽいイギリス積みみたいな変則?
さて後期となる左右の南棟・北棟はと言うとーーー
箇所によってはバラバラだけれどもドッチもフランドル積みに近い積み方っすね(◎_◎;)なぜ?
悪く言えば結構雑多。
よく言えば不思議な感じ。
煉瓦の建築の歴史のセオリー飛び越した積み方ですw
(普通に考えるならフランドル積みが古き積み方だし)
でもちょっと気になるところがあったっす。
それは市役所裏で見た煉瓦塀の積み方と、そのご近所の民家の煉瓦塀の変則的煉瓦塀の積み方に似ているなあ~ってとこっす(小口を二個や三個間に挟んだ長手積みとかね)
改めてお堀を挟んで並倉赤レンガを見てみる。
水面に映る赤レンガと合わさってその姿、佇まいにはほれぼれしたし来た甲斐があったと思いましたっす^^
いや!
やっぱまだこのままじゃ終われないっすよ!
だってーーー
刻印とか探してなくね?
さすがにお堀側から並倉赤レンガに近づくのは無理があるので表側へと廻って、
煉瓦刻印の可能性を模索することにしたっすよ^^
ちなみにその外側にも煉瓦風な建物があるけれど、どう見たって昭和か平成だし煉瓦じゃ無いよねw
おっとっと、
煉瓦にばかり意識が行き過ぎてこの並倉赤レンガの『正体』をお話をすることをすっかり忘れていたので紹介しておきやしょうw
この並倉赤レンガと呼ばれる建物、
それはーーー
『鶴味噌醸造株式会社』と言う、
創業明治3年と言う九州地方屈指の長い歴史を誇る味噌醸造メーカーさんの、元麹室でありんす^^
さて、もしかしたら赤レンガへの小道でもあるんじゃないかと表まで来たものの・・・
赤レンガへ通じる道は全て鶴味噌さんちへの敷地内ですw
直接交渉しかもう道がないわけです。間近に見上げることができるのはね^^;
・・・でもそんな時間もないしと、なかば諦めながら表門を通り過ぎる(むしろ直アポとか私にそんな度胸は無いw)
するとですよ!
神様はいるんですね。
勿論、煉瓦の神様が(*´д`*)
うおおおーっ!
鶴味噌さんちの駐車場脇(?)の瓶甕の前に煉瓦が放置してりゅうw
あからさま過ぎて笑っちったよw
とりあえずせっかく(?)用意していただいたので見てみることにするっすよ(*´д`*)
するとーーー
おお~!
見事な縮緬皺じゃないのお~(*´д`*)
と、なると、
機械成型初期だからかなりの年代物?明治かな?
そんな感じで次も見て行くと!
ん!?
うごおおおおおおおおー!!!
来ました煉瓦の刻印ちゃん(*´д`*)
こんな古そうな煉瓦ちゃんです。
しかも鶴味噌さんの駐車場(?)出入り口。
まったく関係ない煉瓦ってことは無いよね???
さて『大丸に三』と言う中々見ない刻印っす。
いったいどこの煉瓦工場だろう???
と言うか、そもそも関西や九州の煉瓦刻印なんて私ってば全然知識無いしねw
そこで今回は煉瓦刻印と言ったらパイオニアである、
『旧道倶樂部さんの九州地方煉瓦工場消長表』をチェックしましたっす^^
・・・
・・・
・・・?
・・・あれ?
九州の煉瓦工場にはそれらしい刻印が無い!?
うーん・・・
先生が分からないんじゃ自分には無理ゲーだと思った^^;
・・・ん?
あれ?
思い出せ!私。
そう言えば九州地方の煉瓦は明治初頭は特に『大阪などによる関西からの煉瓦を主に越県輸入してた』じゃんかお。
っつーことで同じく先生の『関西煉瓦製造業』の表をチェック。
するとそこに答えはありました。
『丸三耐火煉瓦』
明治29年が起こりの大阪の煉瓦工場。
耐火煉瓦ってのが少し引っかかるけれど(見た目は赤煉瓦だからね)
社名からしてそれっぽい^^
一応、先生も注釈で書いていたんだけれど刻印的には同じものが他にあります。
日本窯業㈱ってところも似通った刻印を打っていたかもと。
正直言えば鶴味噌さんの軒先にこの煉瓦刻印があったからと言って、
丸三耐火煉瓦か日本窯業の煉瓦ちゃんが並倉赤レンガに使われている煉瓦なのかは不明。
でも、こんなとこから何か手掛かりとか切っ掛けが見つかったりもするから、
やっぱり面白いんだよねー
煉瓦刻印探しってやつは(*´д`*)
まだまだ考察したいことは山積み。
でも先を急ぐよ☆
次回は『福岡県久留米市の競輪場裏の丘にある煉瓦』っす。
(※予告していた徳島・淡路島の煉瓦はこの次の記事以降に差し替えさせていただきます)