琴音の煉瓦刻印発見録☆『北海道小樽編ぱーと①』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]
『かつての北海道の中心地』
それが小樽市。
今や観光スポットで知られているけれども、かつては中枢機能を備えたはずの札幌よりも中心的土地であり、
越境の人たちで溢れかえる活況の港町だったそうっす^^
さて、札幌の赤れんが庁舎を見た私っちは『小樽』へとれっつごー。
そこには、まだ数多くの煉瓦構造物が残ってたっすよ~(*´д`*)
んじゃ、小樽編スタートっす☆
はい来ました小樽です。
子供の頃に来た以来だから懐かしいっす(*´д`*)
(※自分自身は18年ぶりかな? 彼女と来て雪の上で転びそうになった彼女を助けようとしたら、彼女の振り上げた拳でアッパーカットをくらい、その場で脳震盪・・・っちゅー嫌な思い出しかない^^;)
駅から見下ろす運河までの坂道も変わりな・・・
いや!
軒を連ねる店店が昔とぜ~んぜん違うじゃないのさw(そりゃ18年ぶりだしね)
スマフォのMAPアプリもあるけれど、せっかくだからと小樽駅で手に取った周辺案内マップは中国語バージョンかあ・・・^^;
でもまあ・・・なんとなーく分かるからこれを頼りにとりあえず散策することに決めたっすw
とりあえず運河っすよね!
坂を下って行きやしょうず^^
ふと、そこを横切るようにレール跡が。
旧手宮線。
北海道最初の鉄道にして、今回のワタシっちの小樽最後の目的地がこのエンドレールの先にある。
でも後で行くので割愛w
なんか立派な石積みの建物が見えてきたっす。
ラーメンマーク?
いいえ『雷文』って言う立派な呼び名がありやす^^
ここは『旧安田銀行小樽支店』っつー銀行の建物っす。
昭和5年建造の鉄筋コンクリート造り。
こんないかにも重たそうな建物だっちゅーのに、
道路拡張の為に曳き家して元の位置から少し移動したってんだからスゲー^^;
さて坂を下りきると運河プラザと言う素敵な建物に突き当たりやした。
ここは小樽観光のインフォメーションプラザ。
元々は明治23年から27年にかけて築かれた『旧小樽倉庫』の再利用でもありやす^^
(石造り倉庫2棟、煉瓦建造の事務所棟1棟)
立派な石造りと思いきやーーー
よくよく見れば腰回りは焼き過ぎ煉瓦ちゃんっすねこれ(*´д`*)
煉瓦の平面も見えてるしー
刻印無いかなあ~っと、この建物をぐるりとすることにしたっす♪
したっけ・・・
まったく刻印ポイのすらないのねw
でも運河プラザの裏手を進んでいたら突き当りの先に素敵物件があったよ!
はうあう(*´д`*)
わきゃー(*´д`*)(誰かさんみたいなセリフ)
説明版を見る限り、ここは
『旧磯野支店倉庫』なんだそう。
明治39年建築の煉瓦造り。
新潟県佐渡の両津から東京のサラリーマンを経て小樽へやってきた磯野進によって建てられた味噌蔵跡。
実はここ、かつては『再利用されていた物件』でした。
その名も『海猫屋』
1976年、喫茶店&ライブハウスとしてこの煉瓦ちゃんを活用し、
その後はレストランとして多くの常連さんが全国各地から集う人気店だったとです。
それも惜しむらくば近年閉店して倉庫代わりになったと(2016年閉店)
明治後期だからかイギリス積み。
でも目地がぷっくり覆輪だよね^^
お金持ちだったのかな?
(※磯野さんは小樽の実業家でもあり市議もつとめてる)
帯に焼き過ぎ煉瓦ちゃんも。
腰回りも焼き過ぎ煉瓦ちゃん。
玄関先に煉瓦の平面!
思わず刻印探しちゃうw
でもすっごく擦れてるの。
明治後期から職人さんが幾度も足を踏み、
昭和から平成まで海猫屋さんの味を求めて常連さんが踏みしめた跡なんだとも思うよ。
通れないけど店とお店の間にも素敵な煉瓦の影。
一応、無粋ながらもサッと軒下煉瓦も見まわしてみたけれど、刻印は見つからなかったかなあ^^
さて、このエリアは『ここだけじゃなかった』
ふと振り返るとーーー
なんかいかにもめっちゃ古そうな家屋。
川又商店?
せっかくなので見ていきやしょうず(*´д`*)
よくよく見ると木造家屋の土台部位には煉瓦ちゃん!
ぐはー!
通気口の鉄扉に刻まれた漢字がすこぶる歴史がありそうなのを語ってるよん(*´д`*)
ん?
煙突かな?
関東の旧家屋じゃ、とても無い組み合わせ!
焚口も当然煉瓦ちゃん(*´д`*)
寒い地域ならではなのかな。
ここってどんな家なんだろ(だったんだろ?)って、気になって表玄関側へと廻ってみることに。
そこには立派な『うだつ(防火壁)』が!
うだつがある旧家屋なんて、けっこう裕福でも無い限りありえないからね!
増々どういうお宅か気になる私(*´д`*)
そこには『旧早川支店』と言う説明版が。
読み進めるとーーー
明治38年建造の建物。
新潟出身の川又さんが早川商店から暖簾分けして築いたものだそう(お茶や紙・文具等々など扱うお店)
写真には撮らなかったけど、このお店の周りには目地の残る煉瓦塊がいくつも散らばってたっす。
もしかしたらばかつては煉瓦塀にも囲まれていたお店だったのかもしれないね^^
さて再び運河プラザの方へと回り込むとーーー
石造り2棟に挟まれた感じに旧小樽倉庫の煉瓦事務所棟がお目見え^^
ぐるっと回ったけれど結局旧小樽倉庫には刻印ぽいのが無かったかな。
さて、このまま本日の目的地に行こうかと思いましたがーーー
どうしても小樽屈指の観光スポット『小樽運河』の中でもひと際目立つ『あの煉瓦の建物』は気になっちゃうよねw
っつーことで、
次回は小樽運河の煉瓦ちゃんと手宮線エンドレールの先にある建物のお話っす(*´д`*)
琴音の煉瓦刻印発見録♪『北海道庁旧本庁舎の刻印☆』札幌赤れんが庁舎 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]
『赤れんが庁舎が暫く見学出来なくなるらしいぞ!』
いっつものよーに、おこづかい稼ぎに嫌々お兄ちゃんの飯を作りに行くと、
お兄ちゃんがとんでもないこと言ってきた!(私にとって限定)
赤れんが庁舎ってのは『北海道庁旧本庁舎』のこと。
つまりは札幌にあるかつて使っていた古~い煉瓦造りの庁舎跡なんす^^
『ええっ!?いつから見れなくなるの??? いつから再開なのさ???』
『なんでも今年の秋くらいから3年弱の工期で耐震補強とかするらしいぞ^^』
・・・ぐは!
ずいぶんと先なのね^^;
っつーことで私は急遽夏休みの目的地を変更。
(本当は山陰地方か熊本・宮崎を予定してた)
いざ札幌へと向かうことと相成ったのでありんすーーー
ほんとは飛行機でグイ~んって行きたかったけれど、ゲームの育成も兼ねて北海道新幹線&スーパー北斗で札幌へ。
これがまたね・・・
上野を朝6時半に出ても到着が約午後三時ですよっ!
4連休の予定だったけれどお、
初日と最終日は移動だけってことになっちゃったお^^;
さて実質、北海道巡りが出来るのは丸二日間のみ。
せっかくなんで札幌以外にも近隣の小樽や江別の煉瓦遺構も見ることにしたっす^^
二日目。ワクワクいそいそとやって来たのはコチラ。
う~ん。門構えからして煉瓦ちゃん。さいこー(*´д`*)
覆輪目地!
やっぱり手抜きなんてしないよね^^
さあ、やって来たのは当然のごとく
『赤れんが庁舎』っす(*´д`*)
見れなくなっちゃう前に来れてよかったあ~♪
朝8時半だと言うのにもうけっこーな人込み^^;
さすが観光ポイントなだけはありますな。
門の裏側もしっかりチェックしつつも、いざれっつ赤れんが庁舎!
ああ~ん・・・遠目からでも素敵な佇まい~(*´д`*)
おや?
庁舎までの前庭まで敷き煉瓦ちゃんなの?
せっかくだし刻印探しましょう(*´д`*)
ん?
( ,,`・ω・´)ンンン?
ナンデスカコレ???
よく見ると刻印と言うよりも北海道各所の地名が彫ってありゅ?
『レンガに刻む私のまち』
これは北海道建設業協会ならび札幌建設業協会の創立百周年を記念して、道内の小学生たちによって刻まれた敷き煉瓦ちゃんなんだとか(煉瓦は江別産)
いいね~。こういうイマドキ煉瓦ちゃんなら私ってば大歓迎かも^^
さて、とうとう目の前まで到達した私。
見上げたそれは想像を膨らませていたものよりも大きく
意匠のすばらしさや
こういうものを残してくれたんだ・・・アリガトウ。
と、いたく感動しちゃったよコノヤロー( ノД`)
さて詳しいここの成り立ちは後述。
まだ開館前だしいー
せっかくなんでぐるりと舐めまわすことにいたしやしょうず。
上にばかり気を取られがちですが、腰回り部位は『焼き過ぎ煉瓦ちゃん』
しかもツートンツーのフランドル積み!
更におまけ付きで焼成時に塩を入れて焼しめる幻の技法『塩煉瓦ちゃん』らしいとのこと。
門司の煉瓦やここにしか使われてないってんだからレア煉瓦ちゃんだよね~(*´д`*)
さて、赤れんが庁舎を見ていてふと北門前に広がる(もしくは現庁舎前)敷地に心惹かれて移動した私。
おや?
なんか国旗を掲揚するようなスペースがあったんだけど、
そこにも煉瓦ちゃんが!
しかも見た感じ古そうな気がする。
更に言えば先ほど見た赤れんが庁舎の腰回りの焼き過ぎ煉瓦ちゃんと同様に思えるんだけどコレって何さ!
その答えはすぐそばにありました。
『開拓使札幌庁本庁舎跡』って場所だったようっす^^
開拓使についてはもうお兄ちゃんのブログ(居酒屋けいば)や私のブログでさんざん書いたから割愛するけれど
(一番重要な部分じゃん!)
こちらは明治5年着工。竣工明治6年の建物『でした』
簡単に言えば北海道開拓幕開け時代の一番の中枢施設。
むしろこっちの方が開拓使開設当時は重要な建物でした。
赤れんが庁舎はそれから遅れること13年起工。
明治21年竣工の弟分だったんす^^
しかもお兄ちゃんの建物に影響受けてたってんだから、そりゃ~さっきの煉瓦ちゃんと似てるわけだよね。
さあ~戻って赤れんが庁舎の外観を再び舐めまわそうですはいw
見上げてみるとあるものに気づくと思いやす。
それはーーー
『☆のマークがいっぱい』ってことに^^
これは『五稜星』
5つの角の赤星。
かつての北海道のシンボルマークっす(いや、官の旗章・徽章かな。道が関わった旧開拓使時代の建築物には同じような五稜星があつらってある)
これを探してみるのも面白いかもしれませんね。
(多分、10っこ以上、この建物の外観には見えると思うんだけど、もっとあるかも)
さてさて。
実は私、ただ外観を眺めていたわけじゃない。
もちろん『刻印を探しにきた』
軒下煉瓦ちゃんも数多く顔を覗かせているし上を見上げて探し続ければ刻印も見つかるかもしれない。
でも制止ロープが横たわっていて『外壁直下には近づけない』んすよこれがまたw
だからどうしてもカメラや双眼鏡では角度的にキツイのね^^;
だけんどね?
お兄ちゃん曰く『腰回りの焼き過ぎ煉瓦にも刻印が存在するって本で読んだことあるぞ^^』だそうっす!
(※ 18章でつづる北海道 赤れんが庁舎物語です)
だから私は焼き過ぎ煉瓦ちゃんをグルっと一周、双眼鏡で刻印探しをしていたのだ(残念なのは自分が刻印発見一番乗り!ではなくなっちゃうことだけどしょーがないよね^^;)
そんなこんなでずっと目を凝らして・・・
観光客に訝しげに見られようが・・・
めちゃくちゃ多い中国人観光客に怪しまれようが・・・
道庁へ出勤される皆々様に振り返られようが・・・
ずっと我慢の子で探したのよ。
うーん・・・でも正門から時計回りでグルっとしたけど全然見当たらないよー^^;
もうすぐ元の正門前に来ちゃうよぉ…
そんな折!
制止の鎖や庭木の向こう側にそれは見えたのです☆
(分かってもらえると思うけど光学50倍以上とか双眼鏡とか無いと無理ゲーな距離)
ぐおおお!
きたああああああああああああああああああああーーーっ!!!(*´д`*)
しかも、
ゴール手前にももう一個あったああああ!
つまりは右回りで北側へと廻っていれば速攻見つけられていたってことですw
この煉瓦刻印は『平煉化場』と言う工場の製品なんだそうっす^^
赤れんが庁舎には約250万個の煉瓦が使われているんだけど、その内訳は近隣の白石村にあった4軒ほどの煉瓦工場の煉瓦が主なもの。
その中でも『鈴木煉瓦製造所』が主体(?)だったとも。
(この鈴木煉瓦はこの後の北海道シリーズに随所に出てくるから覚えておいてね☆)
平煉化場さんはその中のうちの一つなのかな?
本にも載ってる刻印とは言え発見出来て嬉しい(*´д`*)
まあ~ぶっちゃけ現状、望遠カメラ無いと絶対見られないレア物件だしねw
さて、開館時間になったし、せっかくだし入館することに。
ただし私ってば基本『レンガにしか興味が無いので写真の羅列です(ニッコリ)』
ん?
立ち入れない地下に怪しいブツを見つけたので思わず羅列を止めるわたしw
おお~!
地下にある敷き煉瓦ちゃんは外壁周りの近づけない場所にある敷き煉瓦ちゃんと同等の物みたいっすね。
どっちも間近で見てみたい・・・^^;
ディンティル状に突き出ていた丸みを帯びた意匠煉瓦ちゃんは鳩煉瓦って言うのね。知らなかった・・・^^;
こっちも煉瓦が展示!?
と、色めきだったわたしっちだったけど、
木れんがだった^^;
でも今も前庭の地中に埋まってるんだってさ(掘り起こしてーw)
バルコニーにも五稜星☆
退館後も、頑張って見上げて刻印探しをしたけれども、
明治42年の火災後の修復工事や昭和43年の復元工事などで 竣工当時の煉瓦なのか分からないのでザっと見回して諦めちゃったw
(首が痛いのよ!しかもこんな巨大物件、時間がたくさん無いと無理ゲーw)
かつて試験的果樹園であり、凍れば道民の簡易スケート場などの娯楽としても活躍した池のほとりを歩いて次への目的地へ向かうことにした私。
よく見れば、こんなところにも昔の煉瓦の名残なんかもあったりしやす^^
さて次回は小樽へ!
ここにも煉瓦ちゃんがたくさんありました(*´д`*)
(追記。前記事の最後には広島シリーズのおまけとして、次記事に宿泊した東広島市西条の赤煉瓦煙突群を書く予定でしたが・・・
豪雨災害があったこともあり忍びない感じがして・・・
ツイッターなどの小記事としていつか掲載するにとどめることにいたしました。ご理解を)
琴音の煉瓦刻印発見録☆『うさぎ島の刻印☆ファイナル』広島県大久野島 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]
『ルイサイト』
これは大久野島で二番目に多く造られた『毒ガス』っす。
通称『死の露』
イペリット同様、ゴム皮で防御しようが皮膚に浸食貫通。
それは内なる皮膚、つまりは目鼻口からの呼吸器官も爛れさせる。
しかもイペよりも即効性。
遅効性のイペと合わさると、人と言うのは『視力を失い、喉を掻き、その場に突っ伏すしか無い』の。
そんな恐ろしきものがこの小さな小さな離島で逐次、蓄えられていた・・・ってことなの。
さて私は大久野島の海岸線を煉瓦求めて歩き出した。
そこで見たものはーーー?
海辺をてふてふあるっていると、山肌に大きな人工物が見えてきやした!
あまりにも大きな構造物。
ふと、手前の柵にある看板に目が行く私。
毒ガスの年間生産量!?
ウォークラリーのQ&Aにしちゃめっさ物騒!
煉瓦・・・ではないね。
コンクリの巨大な構造物っす。
答えはすぐそばにあった。
『長浦毒ガス貯蔵庫跡』
この島最大の毒ガス貯蔵施設の名残だったわけっす。
その生産量は年間最大で6616トン。
正直、数字を言われてもピンとこないんだけど、
気化する前の液体がこの膨大な量なんでしょ!?
想像しただけで私は震えてしまったっす・・・
(100トンタンク六基収納。日本屈指の毒ガス貯蔵場でもあった)
こんなえげつない施設跡にも
ポップでキュートなウサチャンが沢山遊んでたっす。
でもこのウサチャンもまた『毒ガスのバロメーターモルモット』だったそうっす。
今、この島を闊歩しているウサギチャンは近年に放たれたものなんだそうですが、
戦前戦時中は『毒ガスの検知を測る為の実験動物』だったっす。
言わばモルモット。
生き物の『生』って何だろうと思わされる行為。
医療医薬の糧となった犠牲になったのなら・・・
せめて・・・ほんとせめてもの救いを思うのだけれど、
殺戮兵器の犠牲だもんなあ・・・
うかばれないよね・・・。
さて、飛び回ってるウサチャンには関係ないのだけれど、私は彼らに手を合わせつつ次へと向かった(彼らは昔のウサチャンの子孫じゃない。なぜなら戦後に全羽処分になったから・・・)
島にある休暇村の使って無さそうなテニスコート裏にもまた毒ガス貯蔵庫があったっす。
さてこのルイサイトとかイペリットガスは『戦後どうなったかと言うと?』
占領軍。つまりは米軍の指揮下の下に、土佐沖などに海洋投棄。
もしくは・・・埋没処理。
この島の土中深くに今も埋もれている・・・訳なんす^^;
その先にもまた
『三軒家毒ガス貯蔵庫跡』なるものがあったよ。
中を見やればーーー
鉄骨が剥き出しの状態。
煉瓦ではダメだったのかな?と勘繰る(毒ガスの腐食耐性はありそうだけど、昭和だし煉瓦は使われなかったんだろうね)
台座はそのまま今も残り続けてた。
さて、島内一周も残りわずかってところで休暇村前まで到着っす^^
でもこのホテル前の突端(岬)にも、まだまだ遺構があるらしいので行ってみたっす^^
階段を昇って行くとーーー
コンクリのいかにもって場所にたどり着いたっす。
噂だとここには煉瓦もあるらしいんすが・・・
どうやら・・・立ち入り禁止のこの道を下って行かないとそれは拝めないご様子^^;
お兄ちゃんなら行くんだろうけど、私はやめといたっす^^;
ここは『南部照明所跡』
つまりは夜間の敵艦発見の為に造られたサーチライト。
今治の小島にも同じような施設があったよね^^
ここの入り口部位が煉瓦アーチなんだそう。
さてそのまま大久野島の南端へと出てみやした。
そこには白亜の石積み灯台が(残念ながら崖崩れの恐れありで近くでは拝めません)
残念ながら今目の前に見えている灯台は平成のブツ。
さあ・・・この後はどうしよう。
『煉瓦遺構』は正直もう残りわずか。
船の時間も迫っているしー
『可能性を求めて』駆け足で先へと進むっす。
やって来たのは『研究所跡』
ここでは当然、毒ガスの研究が行われ、そして備品庫棟としても使われた訳っす。
トラロープ張られて近づくことも出来ないし、煉瓦の有無も確認できなかったので撤退^^;
(たぶん無い)
もう煉瓦は無いのか!?
もう望みは薄いのか!?
最後の砦『南部砲台跡』へと私は向かうことにした。
研究所跡から緩やかに丘を登って行くと半分埋没しかけている煉瓦ちゃんがお出迎え(*´д`*)
煉瓦ちゃんの登場にドキドキしたんだけれど、
なんかここ、他の砲台跡より扱いが(整備が)ぞんざいな気が・・・^^;
敵艦が恐らく通るであろう北部の海峡方面よりも重要度が低かった?からなのかな(どちらかと言えば、観光化した人の扱いがそもそもなんだけど^^;
因みに1900年竣工。北部とほぼ同時期。中部砲台は1年後)
・・・さて、
この手の砲台跡に残る煉瓦ちゃんってのは『煉瓦の刻印を見させない鉄壁な守り』ってのはさんざん見てきた訳です。
煉瓦の平面を見せるような造りなんて、そもそもしてないのだから・・・(ほぼ、石材で笠の部位や腰回りなどを囲ってあり、一部の隙も見せにゃいw)
やっぱりここもダメかあ~・・・って諦めかけた。
するとーーー
!?
ん?
おや!?
どうやらここは砲台跡の上部に『ぐるりと砲台を確認できる(見渡せる)道が備わっていた』のですよ!先生☆
その道の『際』にヤツが見えた私は、猛ダッシュで砲台上部へと駆けあがった(*´д`*)
うは!煉瓦ちゃんの平面バリバリじゃん(*´д`*)
でも何で同時期に造られた北部砲台とは真逆の造りなんだろ?
(あちらは煉瓦積みもあれど、その上部下部は堅牢な石積み。
でもこちらは石積みが主体で笠の部位が煉瓦)
私は軍事評論家でも何でもないので考察は後回しw
とりあえず目の前に煉瓦ちゃんが居る訳です。
これは刻印探しセネガルってことでー
レッツ煉瓦刻印探しスタートっす(*´д`*)
ああ~ん・・・
こんなにも裏や表に煉瓦の面が丸見えだっつーのに、残念ながら刻印と呼べるものは傷すらありやせんでしたあ^^;
せっかくなんでもっともっと探してみるわたし。
うーん・・・でもやっぱり無かったかなあ。
あるのは堅牢な石造りの砲台跡だけでしたっす^^;
もしいつか、『石材や煉瓦などを透過出来るようなカメラでも開発されたら』
もしいつの日か、『煉瓦積みを透過出来て刻印だけ見られるカメラとか出来たなら』またここに来てみようかな^^
・・・と言うか
そんな素敵なカメラが開発されたなら日本全国の煉瓦建築を全部巡るに決まってる!
そんなのあったら多分、
楽しくって嬉しくって全国駆け巡っちゃうね^^
さて残り時間もあとわずか。
蔦生い茂る廃タンクなどを見つつも桟橋近くへと戻ってきた。
・・・ここで失敗したのが・・・
本土へ戻ろうと予定していた客船のちょっと前にフェリーも就航していたことに気づかなかった誤算。
だって時刻表にはフェリーはこの島に立ち寄らないって記載されてたんだもの・・・(私の見間違いかもだけど)
まあそれはいいのですう。
自分が当初の帰りギリギリ予定の客船を第2桟橋で待っていたらーーー
この島を周遊しているバスの運転手さんがバスから降りてきて、
『お嬢ちゃんこんなとこでどうしたの? もうここから船は出ないよ?
次の最終便の手前の船は第1桟橋からだし、ここから数百メートルのとこだよ^^;』と教えてくれたのだす(えー
・・・慌てて私は別の桟橋へ向かうことに^^;
まあ~時間的余裕はあったはずなんだけれど、思わず駆けてしまったw
さて、何とかこの島で野宿・・・とかは無さそう。
第一桟橋が見えてきたところで安堵。
もう後は船を待つだけ。
刻印らしい刻印探しは旅初めに訪れた弾薬庫跡だけだったから、ちょびっと不満なとこもあるけどこれはいつものこと^^;
でも船を待つ間にキャンプ場で煉瓦刻印を見つけたよ☆
『KTKの耐火煉瓦』
かまどにこれでもか!ってくらい刻印面を並べて連なってたw
どこの耐火煉瓦かな?って調べたけれど、結局分からなかったんだあ^^;
(煉瓦刻印の関西の大御所さんの記述を閲覧しても不確定でした^^;)
まあ、白煉瓦は赤煉瓦よりもかなりマイナーで調べ上げるのは困難だしねw
さて大久野島と煉瓦のお話はこれでおしまい。
後は予約したホテルに行って翌日帰るだけだったんだけどーーー
予約したホテルの土地にもまた煉瓦がいっぱいあったので、おまけとして次回へ続きやす(*´д`*)えへへ